ISBN: 9784140819920
発売⽇: 2025/06/27
サイズ: 15.8×21.6cm/688p
「画家ゴッホを世界に広めた女性」 [著]ハンス・ライテン
私見ではアムステルダムの美術館が集まる区域で最も入場待ちが長く、予約も困難なファン・ゴッホ美術館。画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~90)の名声は、彼と、彼を支えた弟で画商のテオが相次ぎ30代で早逝(そうせい)した後、テオの妻ヨーの功績で確立されたという。
内向的で自信のなかった読書好きの少女が、兄の紹介で出会った夫を20代のうちに亡くし、1歳に満たぬ息子を抱えて下宿屋を開業、同時に義兄の作品を世界に広める偉業をいかに成し遂げたか。本書はヨーが残した日記や手紙、会計簿など多数の資料を紐解(ひもと)きながら、約600頁(ページ)にわたりその軌跡を描き出す。
ヨーの有能さと根気には圧倒されるばかりだ。彼女にとって「この世で最も神聖なもの」だという画家の書簡の編纂(へんさん)を早くから計画し、英訳も自ら担当。絵に関しては未熟者と退けられながらも、適切な協力者を見出(みいだ)し助言を得て人脈を築き、展覧会の開催、絵の貸し出しと売却、テオの生前の見解や画家自身の手紙の内容を参照しながら作品に名をつけ目録作成、抜け目のない宣伝や出版戦略、批評家との応酬、反対派の説得――あらゆる業務を彼女は冷静さと信念をもって遂行した。
かように熱心で有能な擁護者の存在は芸術家として羨(うらや)ましい限りだが、その卓越したビジネスセンスと行動力は、「自己の良心と内面の完成のため」のたゆまぬ向上心と努力の賜物(たまもの)であり、原動力はファン・ゴッホ兄弟や息子への愛と共感、信頼、そして、「人をもっと幸せに、もっと善くしたい」という少女時代からの、「19世紀末の女性としてはとてつもない野望」と社会正義への強い意識なのだ。
だから、家庭や社会への責任も怠りない。苦手な家事は人に任せ、子どもの教育を何より重視した。わずか1年半の結婚生活にもかかわらず、ファン・ゴッホ家の家族への細やかな配慮を終生忘れず、画家フィンセントの作品普及活動を同名の息子へとつないだ。一方で、社会民主労働党の女性クラブを創設し、女性の労働条件の改善や、芸術と教育を労働者階級へ広める活動にも尽力した。
ゆるぎない「忠誠、献身、愛」(息子のヨーへの献辞)をもって全うした重荷の多い62年の生涯は、作品普及の「聖なる務め」だけでなく、「無力な人間」の自立と成長の物語でもある。意志と愛がもたらす、人の無限の可能性の驚異。ファン・ゴッホ美術館上席研究員の著者の緻密(ちみつ)な記述と膨大な巻末資料やオンライン註(ちゅう)、豊富なカラー口絵はヨーの仕事ぶりと重なり、心打たれずにはいられない。
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Hans Luijten オランダのファン・ゴッホ美術館上席研究員。2009年に出版・公開されたファン・ゴッホ書簡集の共同編集者。