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車窓の有明海、流れゆく記憶 青来有一

イラスト・竹田明日香

 長崎駅から佐賀県の武雄温泉駅まで西九州新幹線が開通したのが、2022年9月23日でした。

 長崎駅には切符を求めて人々が朝早くから列をなし、歴史的瞬間をカメラにおさめようと鉄道ファンもたくさん集まりました。

 マスクで笑顔は見えませんでしたが、テレビのニュースに映しだされるホームの様子から一番列車出発のうきうきとした気分は伝わり、長びくコロナ禍にうんざりもしていて、時速260キロで走る新幹線に早く乗ってみたいと思ったことは覚えています。

 あれからおよそ3年、西九州新幹線にもなんどか乗る機会がありました。乗車時間は30分にもならない短い区間で、長崎と博多までの全線開通が望まれるところですが、博多までの時間も短縮され、車両はゆったりとして快適で、武雄での「リレーかもめ」へのあわただしい乗り換えにもなれました。

 今は淡々と乗り降りをするだけですが、窓の外をぼんやりながめ、新幹線開通前に特急・急行列車などが走っていた有明海の沿線の風景、ゆるやかなカーブが続いて干潟の海が遠のいては近づく景色を思い出すことがあります。

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 長崎県と佐賀県の県境にひろがる多良岳をはさみ、西九州新幹線はその西側の大村湾近くを走っていますが、それ以前の特急・急行列車などは多良岳の東側の有明海沿岸の線路を走っていました。

 諫早と肥前鹿島のあいだでは有明海がよく見え、長崎から上りの時は右手の車窓、長崎へ下る列車なら左手に、その景色が広がります。

 有明海は大きな干満差で有名であり、干潮の時にはなめらかな潟の中にいくすじもの小さな流れがあらわれて、光の加減で白く輝いて見えます。干潟に突き刺した細長い竹のようなものは、海苔(のり)の養殖のための網を張る支柱らしく、満潮の時にも有明海の独特の雰囲気をつくりだしていました。

 思いのほか海に近い家々や土砂や資材を置いた小さな港湾の空き地、竹崎の大きな赤い蟹(かに)の看板と海辺の宿など、有明海沿岸の景色には、白砂青松といった伝統的な日本的景観や、パウダースノーのような砂浜と青く澄んだ海、白いサンゴ礁といったパラダイスの輝くイメージとも異なり、鈍くくすんだ墨絵の風合いといった美しさです。

 55年前の前回の大阪万国博覧会に行く途中、その景色をながめたはずですが、冷凍ミカンの硬さと冷たさはぼんやり覚えていても、さすがに車窓の景色は記憶にありません。

 就職前の24歳の冬、九州北部を巡ったひとり旅の帰りの列車で、寒々とした夕暮れの青白い干潟をながめながら、小説を書いてみようとふっと心に浮かんだ瞬間は覚えています。

 一度、遅い時刻に博多で乗車したら、大相撲九州場所の観戦を終えたらしい、高齢の男性3人組が乗ってきて、座席をくるりと回転してボックスシートにして、カップ酒を飲みながらにぎやかにおしゃべりを始めたことがありました。窓側の指定席で逃れることもできません。

 うつらうつらとしてはっと目覚めたら3人の客たちも眠っていて、窓の外に濃い窪(くぼ)みのような干潟の気配を感じたことや、諫早湾の本明川の河口に出現した巨大な要塞(ようさい)の壁を思わせる潮受け堤防を初めて見た時のなんともいえない威圧感なども記憶にあります。

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 有明海とその沿岸の鈍くくすんだようにも感じる景色の美しさがわかるようになったのは、ある程度年齢を重ねてからだったようにも思います。ある日、使いこんだなじみの器の風合いをしみじみとながめるような感じだったかもしれません。

 あの路線そのものが失われたわけでもなく、今は観光列車も走っていて、3年以上、遠ざかっている干潟の海をたまには車窓からながめてみたいと思うことがあります。=朝日新聞2025年9月8日掲載