現代アジアを研究対象とした社会科学の良書を選ぶ「樫山純三賞」をオンワード樫山の創業者が始めた樫山奨学財団が主催している。学術書と一般書が対象。アパレル企業ゆかりの財団が学術・出版の賞を運営する理由とは。
「今年は『まれにみる豊作の年』との声が出ました」。賞の選考委員代表を務める東京大教授(アジア政治外交史)の川島真さんは選考をそう振り返った。
20回目の今年は、学術書賞が高橋伸夫・慶応大名誉教授の「構想なき革命 毛沢東と文化大革命の起源」(慶応大学法学研究会)に、一般書賞が熊本史雄・駒沢大教授の「外務官僚たちの大東亜共栄圏」(新潮選書)に決まった。「文化大革命を発動した毛沢東と、戦争という『失敗』を導いた日本の外交官たちについて、従来言われてきた因果関係よりも、場当たり的な対応や独自の思考性によって危機へと至った過程を実証的に描いており、いま読む意義は大きい」と川島さん。
川島さんは賞の位置づけを「政治・経済・社会・歴史などアジア独自の視点に立つ研究、しかも学術書と一般書を広くカバーする賞は他にない」と語る。選考委員は他に、末廣昭・東京大名誉教授、松田康博・東京大教授、渡辺利夫・元拓殖大総長ら実力者が並ぶ。
なぜアパレル企業発祥の財団が運営するのか。財団理事長の亀岡エリ子さんは「祖父で創業者の樫山純三(1901~86)は実業界で成功したものの、若いころに大学で勉強できなかった悔しさを感じていたようです」と話す。自叙伝「走れオンワード」によると、27年に樫山商店を創業する前、樫山氏は三越の店員として働きながら、文学やロシア語を猛勉強した時期があった。「祖父は学問へのあこがれや教育への関心を持ち続け、世界を俯瞰(ふかん)する必要を常々口にしていました」
私財を投じて財団を設立したのは77年。樫山氏は86年に亡くなったが、その遺志を継いだ亀岡さんらが2006年に樫山純三賞を設立した。賞の要項は「アジアとの共生」をうたう。「賞の設立・運営は未経験。専門家の人脈もない。一からの試行錯誤でした」
近年は研究対象地域と今後いかに向き合うのか考えさせられる本の受賞が目立つ。第19回学術書賞に輝いた岩谷將(のぶ)「盧溝橋事件から日中戦争へ」(東京大学出版会)や第17回の一般書賞、熊倉潤「新疆ウイグル自治区 中国共産党支配の70年」(中公新書)が代表格だ。川島さんは「こちら側の価値観を押し付けず、現地の合理性に内在した理解に努める必要がある」と強調する。(大内悟史)=朝日新聞2025年10月29日掲載