結婚した夫が連れてきた猫と暮らしだしてもうすぐ二年になる。猫という生き物にもだいぶ慣れたと思う。柔らかくて体臭もほとんどない、よく食べよく眠る、人間の生活に溶け込むことに優れた愛玩動物だと感心する。いつも私の膝(ひざ)にいるし、一日に何十回も尻を突きだして撫(な)でるよう要求してくるので、周りの猫飼いたちに聞いていたより人間好きな気はするが、個体によって性格の差があるのだろう。個性があるということは知能が高いのだなと判断し、思ったよりコミュニケーションが取れるのも不思議に感じていなかった。
ある日、「(猫が)よく喋(しゃべ)るようになった」と夫が言いだした。鳴く、ではなく、喋る、なのだという。確かに名を呼ぶと「アーン」と返事をし、膝にのりたい時も「アアーン、アアーン」と主張している。鰹節(かつおぶし)や猫用おやつを見ると「アー!」と叫ぶ。私と夫が違う部屋で喋っていると「ハニャア」と首を傾けながら覗(のぞ)きにくる。というか、登場する時は必ずなにかウニャウニャ言っている。自分一人で世話をしている時は「こんなに喋らなかった」と夫は言う。随分とうるさい猫になってしまったようだ。きっと、私たち人間が言語でコミュニケーションを取っているので、合わせるようになったのではないかと夫と推測した。猫にとっては、人間は二人以上になるとなんてうるさくなるんだ、と驚きだったことだろう。それでも人間は好きなままで、合わせてくれるとは、なんともいじらしいとますます小さな存在が愛(いと)おしくなった。やや高齢な猫なので適応能力の高さにも感動を覚えた。
しかし、夫が会社に行っている日中、私は一人なので喋らない。あまりにも喋らないので、急に電話がかかってきたり、出先で知人に会ったりすると言葉がでてこなくなる。なんとか頭は動いても思うように口が動かず発語がままならない。羞恥(しゅうち)を抱えて仕事机に戻ってきた私の膝に、猫が「アアアアーン」と高い声で鳴きながら飛びのってくる。夫がいない時、猫は私より滑らかに喋る。=朝日新聞2025年11月5日掲載