正月休み、つまり年末年始休みは、休みではないと諦めている。やることが無数にあるからだ。年賀状書き、大掃除、正月のための買い出し、大晦日(おおみそか)の蕎麦(そば)やお節やお雑煮作り、初詣、帰省、親戚の集まり、その片付け……文筆業といえば聞こえはいいが、所詮(しょせん)フリーランスの私は正月でも仕事があることがあり、そうなると平日よりも忙しくなってしまう。
もちろん、正月にまつわるあれこれをまったくせず寝正月を決め込むことも可能だ。いっそ旅行をしてしまうのもいいかもしれない。けれど、「何もしない」を選択することが私はどうも難しい。水回りだけでも掃除しておこうとか、なますくらいは作ろうとか、つい何かしようとしてしまう。年末年始の「何もしない」は罪悪感との戦いだ。だったら、もういっそ休みとは思わない方が私は気が楽だった。
しかし、不惑を超えた辺りから体力が衰えたこともあって「もう無理だ」と音をあげることへのハードルが下がった。自分への期待が落ち着いたともいえる。正月準備の段階で「これはやらない」と決められるようになった。私はこれを「正月淘汰(とうた)」と呼んでいる。「できない」ではなく「淘汰された」と思えば、環境に適応した自然の摂理であると納得することができ、罪悪感も減る。
今年は年賀状が淘汰された。二年ほど前から猫と暮らし始めたので、帰省も淘汰された。お節の種類も年々、淘汰されていっている。毎年、最後まで重箱に残っている、大して好みではなかったお節が淘汰されると、義務感で作り、食べていたことに気づかされた。代わりに、SNSで見かけたアレンジを加えたお節を取り入れてみたり、勝手に好きな料理をお節に加えたりしている。
私は餅が好物なので、人の家のお雑煮を訊(き)いて試すのが好きだ。餅にこんな一面が、と新鮮な気持ちになるし、好みを極めていくのも楽しい。結果、我が家のお雑煮は二種類が存続しており増えることも多々ある。お雑煮だけは淘汰されないだろう。=朝日新聞2026年1月14日掲載