【連載30回記念】市川沙央さん凱旋! 芥川賞後の長すぎた2年。「自費出版するしかないと思い詰めたことも」 小説家になりたい人が、なった人に〈その後〉を聞いてみた。#30
初代・小説家になった人、市川沙央。この人なくしては連載が30回を迎えることはなかっただろう。筋疾患先天性ミオパチーを患い、書くほかなかった市川さんが小説家になるまでを真摯に語った第1回は、瞬く間に100万PVを超え、「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」を人気連載へと押し上げた。
「私の方こそ、この連載がなかったら現在の市川沙央はなかったと言って過言ではありません。私たち、ここまで心は一緒に走ってきましたよね! 第1回のサムネイルを見るたび『シャツドレスのボタン、上まで留めすぎ』と思うのですが(笑)」
(今回の取材も前回同様、あらかじめメールで回答をもらい、補足のみ最小限お話しいただく形をとった。)
第1回の取材は文學界新人賞の受賞後。その後、受賞作「ハンチバック」で芥川賞を受賞し、金屏風を背に「読書バリアフリー」を訴えた。
「受賞から2年以上経った今でもふとしたときに『って、芥川賞って!』と一人でギョッとしています。そのくらい自分にとって芥川賞は幻想でした。第1回でお話したとおり、そもそも新人賞受賞の知らせを受けたときに感情のブレーカーが落ちたので、以降の芥川賞ノミネート、待ち会、受賞、贈呈式に至るまで、『芥川賞ってこういうフローなんだ~』という見学者の境地でした。
ただ、YouTube等の受賞作予想にはイライラ、ムカムカしましたね。これは自作への評にではなく、芥川賞に対する解釈違いにイラついたんです。
芥川賞の受賞傾向って独特の係数があると思うんですよ。新規性、批評性、前衛性、文体の更新など。プロの批評家はそのあたり勘案してきちんと当ててくるけれど、アマチュアは自分の好み、物語の出来の良さで選んでしまう。でも、出来の良い作品や凄まじい表現ならば、ライトノベルやジュブナイル、アニメ、漫画にいくらだってある/あったじゃないですか。それを無視して狭い狭い箱の中から、既存のフレームを基準にした出来の良さで選んでいたら、それは他ジャンルへの敬意を欠くことになる。
私は、ライトノベルにいくらでも凄いものがあるじゃんよ、という気持ちで純文学に立ち向かっている人間。だからこそ、純文学を代表する芥川賞は、エンタメ方面とは一線を画して、既存のフレームを打ち破る、ただならぬ文学が獲るものでなければと思っています。もちろん、この私の解釈すらも打ち破る極右・極左・極中道ならぬ、極物語みたいなエモくてメロい傑作が獲るのもよし! ……ふう、熱弁してしまいました」
芥川賞受賞後はさらに注目が集まり、批判や誹謗中傷にさらされることもあったと思いますが、どのように受け止めていましたか。
「『ハンチバック』のネガティブなご感想は『ですよね〜!』と同調して読んでいます。というのも自分の小説をそれほど大切に思ってないんですよ。若くしてスルッと当たり前のように認められていく方々と違って、純粋な自信やこだわりはとっくのとうに失っているもので。ただ、ネットで『20年前のパルスオキシメーターと今のとそんな変わらねーよ』と突っかかられた時とかは『30年前って書いてるだろテメェ算用数字も読めねえのかクズが!』と画面のこっちで吐き捨てています。ポジティブなバズりの時は黙っているくせに、ネガティブな炎上が起きた時に便乗して言ってくるからそういう奴はクズなんですよ根性が。おっと、口が滑りました」
受賞後第1作は、『女の子の背骨』にも収められている「オフィーリア23号」(『文學界』2024年5月号)。「ハンチバック」掲載からちょうど1年後の掲載です。この間、どんなスケジュールで執筆を進めてきましたか。
「取材等が落ち着いて集中力を取り戻したのが年末頃。秋から書き溜めていたのを年末年始で書き上げて1月に初稿提出、若干の改稿と加筆を経て掲載に至りました。受賞後第1作のプレッシャーはまったくなく、完成度よりドライブ感を重視してのびのび書きました。なぜならこれは雑誌に載る小説だから。少女小説誌『Cobalt』(集英社)で育った私は、雑誌を盛り上げたいという気持ちが強いんです。完成度にこだわってお待たせするより、お祭り騒ぎを盛り立てる興行的な勢いのあるものを書きたいといつも思っています」
「オフィーリア23号」の主人公・那緒は健康な体をもつ大学生です。当事者性が高い評価を得た「ハンチバック」に対し、障害や病気という題材をとらなかったのはなぜでしょう。
「たんに書きたいものだったので。那緒は自身をウィーンの哲学者、オットー・ヴァイニンガーの生まれ変わりだと信じているのですが、私は世紀転換期ウィーンのマニアで、いつかコバルト文庫またはオレンジ文庫でウィーン小説を開拓して第一人者になりたかったんです。それは叶いませんでしたが、芥川賞をとった今なら、ウィーン関係の小説をねじこめるのではと思って」
那緒はミソジニーであり、彼女の心酔するヴァイニンガーは性差別主義者。マイノリティーの権利を訴える市川さんが描く主人公として、意外に感じました。リベラルと保守、右翼と左翼、フェミニズムとミソジニー、市川さん自身の考えも複雑に捻じれているのでしょうか。
「捻じれているというより、平和な日本には私と基本的な考え方の重なる人はどこにもいないので、諦めています。考え方の違いが感情のレイヤーでの憎しみになったり、とりつく島もなく分断したりということが、私には理解できないんですよね。弱者と強者は固定された地位ではなく相対的なもので、女性がいつもいつでも弱者なわけではありませんし、右も左も相手がもたらしている利益に思想上でフリーライドしているんです。だって一切の福祉を拒絶して暮らす右派も、政権与党の外交軍事経済政策のもとに安定供給されているエネルギーや食料を拒否して暮らす左派もいないでしょう。だからみんな仲良くしようよ〜っていう気持ちで私はいつも小説を書いています。そうは読めないかもしれませんが……」
「女の子の背骨」(文學界2025年1月号)は、市川さんと同じ筋疾患先天性ミオパチーを患うガゼルと姉の物語。市川さんにも同じ病気のお姉さんがいますね。私小説とも読める作品です。
「ライトノベルで育った私はド商業志向なので、より注目を惹くものを書いていきたいんですよね。周囲も『ハンチバック』のような当事者ものを書いてほしそうだったので、これはぶっちゃけ商業的なスピンオフ戦略です」
単行本『女の子の背骨』は『ハンチバック』の発売から2年かかりました。なぜこんなに時間が空いたのでしょうか。
「まさにそこなんです。受賞以降、自分がとんでもなく恵まれているのは理解しているので、以下は私の内面の問題として聞いてほしいのですが、2024年から今年の8月まで、本当に辛くて心が3回折れました。だって! 2冊目が! 出ないんです!
『オフィーリア』の後にまだ1作必要で折れ、『女の子の背骨』発表後の年末までに進展がなくて折れ、鈴木結生さんが『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)刊行の5ヶ月後に2冊目を出されてサイン会もなさっていた時に折れました。もう私の本は出ないな、と覚悟し、一時期はInDesignを買ってKDP(Kindle direct publishing)で個人出版するつもりでした。暇がなくて結局できなかったですけど……。『ハンチバック』がレビューされればされるほど他に既刊がないことが辛かった。8月まで毎日「本が出ない」というワンフレーズを書き殴りつづけたノートがあるので自分でも怖いです。また特級呪物をつくってしまった……。あ、ここウケ狙いですからね、丹羽さん!(同席の担当編集)」
丹波さん、そもそも市川さんの二冊目がなかなか出なかったのは、なぜなんでしょう(と、市川さんの為に詰め寄る清)。
丹羽さん 「本当にお待たせしてしまったのですが、『ハンチバック』の文庫版の発売と『女の子の背骨』の発売を合わせたい、という販売戦略が理由なんです」
受賞後、2冊目が出ない、あるいは2作目が文芸誌に掲載されないという悩みは他の新人作家からもよく聞きます。市川さん、その状況で新人がモチベーションを保つためにはどうしたらいいと思いますか。
「最近思うのは批評家に対して。批評とは何かというようなメタの議論をしている暇があったら一作でも多く、一字でも多く、特に新人作家の実作批評をしてあげてほしい。私は海外含めて読みきれない評をもらっているので、とにかく新人作家たちの作品により多く機会を作って言及してあげてほしいと思います」
市川さん、おからだの調子はいかがですか? 朝比奈秋さんとの対談(「文學界」11月号)で血尿が出たと読んで心配していました。
「周囲にお気遣いいただきながら、芥川賞受賞後もおおむね元気にメディアの取材などを楽しんでいました。ただ去年あたりから精神的にあやしくなり、今年に入って体がダメになってきて……。今の私、10時間うだうだしておいて一瞬だけ仕事する。するとどうでしょう、仕事が永遠に終わらないんです。当たり前だろ。40代半ばを過ぎて老化もガタッと来てる気がします」
それは筋疾患先天性ミオパチーにより人工呼吸器をつけていること、車いすユーザーであることも関係していますか。
「そうですね。起きて身づくろいして食べるだけで日が暮れます。若いうちはそれでも夜にガリガリ書いて取り戻せたんですけど、ここ2年、体力というより精神力がダメダメになっていて頑張り切れなくなっています。あと小説以外の書き仕事のために小説を書く時間がなくて、それも多大なストレスに。同業の集まりに参加するのも難しく、横のつながりでの情報も入ってこなくて孤独です。まあ仕方ありません。念願の2冊目を出せたし、年末には環境を新しくするので、今後は他を断る勇気をもって小説に専念しようと思います」
「読書バリアフリー」は市川さんによって広まりました。ご自身が大きな声を持ったことをどのように感じていますか。
「その声が公に存在しない世界とする世界では、フラストレーションも違うので、私の精神衛生のためにはよかったと思います。ただ、ほんの数年前まで新聞で作家の寄稿を読んで、『何かを言っているようで何も言っていない』と軽蔑する、石の下に蠢く虫みたいだった自分のことは忘れたくない。専門家でもない作家が偉そうに社会的発言をするべきなのか、つねに逡巡はありますよ」
目指し続けた小説家になって2年、小説家になってよかったと思いますか。孤独や葛藤、肉体的・精神的な辛さも伝わってきますが……。
「それでもやっぱり、よかったです。無職から脱し、両親に自慢話のタネをあげられた。恩返しが間に合いました。引きこもりは相変わらずですが、世界の果てまで言葉を通して社会とつながる人間になった。あとは死ぬまでに一度でいいから、自分の本が書店に並んでいる売り場を見てみたいです。リアルでは見たことがないので」
【次回予告】永井荷風新人賞の春野礼奈さんが登場予定。「言語化するための小説思考」が話題の小川哲さんによる特別版も進行中。