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山田詠美さん「三頭の蝶の道」 女流作家たちの毒気と魅力「あらゆるものが過剰だった」

山田詠美さん=干川修氏撮影

 文学に一途な女性たちが、「女流」と呼ばれた時代があった。今では問題視される呼び名だが、彼女たちは一概に差別されたかわいそうな人たちではなかったと山田詠美さんは言う。毒気と魅力をあわせ持った女流作家たちの生き様を「三頭の蝶(ちょう)の道」(河出書房新社)で描いた。

 「女流という言葉は差別的だから使いたくないと思うのは自由。でも、若い女性作家が、そういう風に言っているのを見たとき、あの人たちは女流という名の下に誇り高く生きていたのにと、ちょっと残念に思いました」

 1985年にデビューし、40周年を迎えた。女流作家と呼ばれた人たちを直接知る最後の世代として、その姿を書き写そうと、本作に取りかかった。

 「彼女たちはあらゆるものが過剰だった。過剰なものをどうにかするために文学に携わらないと、自分を収めることができないという感じの人が多かった」

 好感度を気にしてそつがない振る舞いをする人は少なかった。女流と呼ばれた作家たちの人を引きつけるもの、そして過剰なまでに人を押しのけてやろうとする意欲――。それらをコラージュして、小説の核となる3人の女性作家を作り上げた。

 瀬戸内寂聴さんは最晩年に小説「いのち」で、自身と、河野多恵子さん、大庭みな子さんについて書いたが、「私が知っている彼女たちとは違うなと思った。私なりのそういう作品を書いてみたくなったんです」。

 3人の物語は、女も男もこえて、文学とは何かという深部にも迫っていく。

 作中には、女流作家の「骨が見たけりゃ私の小説を読み返して」「作家にとっての本当の骨は、作品だって」という言葉がある。山田さんと生前に親しかった河野さんが同じようなことを言っていたのだという。

 山田さんも言う。「肉をそぎ落としていって、骨になったようなものが一番重要。デビュー作以外の作品で、私が大事にしているものは全然変わっていないと思いますね」

 書きたいと思ったのは、デビュー作だけだった。「私の場合は、書きたいものよりも、書きたくないものの方が多いの。使いたい言葉よりも、使いたくない言葉の方が多い。だからあえて言えば、それが私の価値観」

 使いたい言葉は少ないが、まだ書き切れていないとも感じるという。「書いている時に、自分の中にあったのに発見されていなかった言葉を見つけて、ここにあったんだと思います。なんだ、この組み合わせでよかったんだ、という感じ」

 創作意欲ではなく、「書かざるを得ない」から筆をとる。「これが天命で、天職。これしかないって感じで、目の前のものに向かって書いてきたら、いつの間にか40年経っちゃった」

 本を書くことは、自分という国に滞在するためのパスポートを更新するようなものだという。自分が自分であるために、小説に向き合い続ける。「書かない方が苦しいと思う。小説家は職業ではなく、そういう『生き物』だから」(堀越理菜)=朝日新聞2025年11月19日掲載