一色五郎。よほどの歴史通でなければなじみのない猛将の、豪胆で繊細な人間像を和田竜(りょう)が鮮烈によみがえらせた。新作「最後の一色」(上下巻、小学館)は、丹後の守護大名、一色五郎と、彼をライバル視する長岡(細川)忠興との、家名の存亡をかけたぶつかり合いを描く。
本屋大賞を受賞した「村上海賊の娘」(2013年刊)から12年ぶりの新刊となる。デビュー作「のぼうの城」(07年)、「忍びの国」(08年)、「小太郎の左腕」(09年)はとんとんと出せたのに、なぜこれほど時間がかかったのか。
「もともとバトルものが好きで、映画監督を目指して歴史もののシナリオを書き始めた。『のぼう』から『小太郎』までは、どれも前もってシナリオが書いてあって、準備ができていた。『村上海賊』は取材・シナリオ化・執筆に丸4年かかりました」
戦国時代の複雑な政治情勢や、多くの人名・地名をテンポ良くさばいていけるのは、このシナリオ化の段階でストーリー展開を考え抜いているからこそ。
今回は予備取材から丸7年を要した。きっかけは、海音寺潮五郎の短編「一色崩れ」を読んだこと。鉄砲の名手として知られる稲富伊賀が、徳川家康に従う前は一色家の家臣だったことを知り、資料で深掘りするうちに一色五郎や家臣たちの人物像、一色家を滅ぼした長岡(細川)家との葛藤などが見えてきた。
「一寸先は闇。史実が持っている釈然としない感じを書きたい気持ちになった」
五郎は17歳で一色家の当主になり、その戦いぶりは荒れ狂う阿修羅王のようだと記録され、死地を突破するためには「惨(むご)いとも何とも言いようがない」奇策もいとわない。その一方で、長岡家から嫁いできた妻や、二人の間に生まれた息子に並外れた愛を注いだりもする。
「2016年に子どもが生まれ、一時期、仕事をストップしました。そこから改めて一色家について調べ始めると、かつて五郎と側室との間の子どもが早世したという記録が出てきて。子どもが出てくるエピソード、以前はあまり気に留めなかったけれど、深掘りしたり、読みたくなったりしました」
2016年といえば、トランプ氏が米大統領選に初当選した年でもある。「社会がどうなるか、どんどんわからなくなっている。みんなそれぞれが、なんでこんなことに、という状況で生きたり死んだりしていく。人生と折り合いをつけていくしかない。五郎の妻の消息を記した資料を見つけた瞬間、『この小説、できた!』と思った」
SNSの盛り上がりは前作以上。「ねらい通りの反応に『やった』と思ったり、意外な反応があったり。たとえば稲富伊賀が出てくると反響が大きかった。大臆病者の、異色の人物にしようとは思っていたけれど、あんな風に読者が盛り上がってくれるとは。ちょっと悪ノリして書いたところもあります」
「村上海賊」の登場人物が、とある書状に出てくるなど、旧作のファンへのサービスもさりげなく仕込んでいる。
乱世を生き抜いた知識人・細川藤孝の狡猾(こうかつ)さや、息子・忠興の無鉄砲ながら裏表のない純粋さも、物語を意外な方向に転がしていく。彼らや五郎が己の命よりも守りたかったものとは。
構想中の次回作も、「歴史ものになると思う」。
「現代ものでドラマチックな表現をするには、そこに至るまでに回りくどい説明をしないと見る人の腑(ふ)に落ちなくなっている。その点、乱世においてなら、美しい行いも、悪い行いも、水際だったふるまいも、ストレートに描くことができるし、受け取る側もすんなり受け取れる。ぼくに合っています」(藤崎昭子)=朝日新聞2025年11月26日掲載