チェコでベストセラーとなり、20以上の言語に訳された小説の邦訳「ジートコヴァーの最後の女神たち」(阿部賢一、豊島美波訳、新潮社)が刊行された。著者のカテジナ・トゥチコヴァーさんが11月に来日し、取材に応じた。
「ジートコヴァー」はスロバキアとの国境に近いチェコの地名。この辺境の地に「女神」と呼ばれる女性たちが長く暮らしていたという。
女神とは、人々の相談に薬草や占いで応える女性たち。その術は母から娘へと受け継がれ、長い伝統を紡いできた。2001年に「最後の女神」が亡くなるまでは。
トゥチコヴァーさんは友人の民俗学者から女神について教えられ、文書館での資料調査や現地での聞き取りを重ねた。
「共産主義体制のもとで厳しい迫害があり、長い歴史のある伝統が、本当に短い間に破壊されたと知りました。葬り去られた女神という存在を掘り起こしたいという気持ちで書きはじめました」
主人公は、民族誌学を研究しているドラという女性。自身が女神の系譜に連なる人間と知って、文書館の資料を読みこみ、女性たちの知られざる歴史に分け入っていく。
共産主義時代の秘密警察やナチスの文書など、多くの克明な資料が作中に織りこまれる。女神たちの歴史は絵空事ではないのだと、読者にはっきり念を押すかのように。
膨大な資料は、著者自身が国内外に足を運んで調べた文書をもとにしているのだろう。でもそれなら、あえて小説にしなくても、ノンフィクションとして書けばよかったのでは?
「もちろん歴史学的な論文や研究書をたくさん読んだし、それだけで身の毛もよだつような恐ろしいことがあったことはわかる。でもそれをフィクションの形で、主人公の目を通して一緒に体験することで、より深く心に焼きつけられると思っています。これは芸術の力、文学の力です」
女神の術には非科学的な部分もあり、それゆえに不信感を持たれた側面がある。「現代的な観点からは説明しにくいこともあるけれど、助けが必要な人たちを支えた女性たちに、私は敬意を持っています。伝統ある営みが失われて、私たちの文化がいかに貧しいものになったかを伝えたかった」
インタビューを締めくくろうとしたとき、「重要なことをひとつ」とトゥチコヴァーさんが言った。
「私が書いたのは、才能や能力に恵まれながらいろいろなことを断念しなければならなかった女性たち、体制の抑圧に抵抗し続けた女性たちの歴史だということです」。これは女神という個別の存在だけの話ではないのです、とトゥチコヴァーさんは続けた。
「いわゆるマイノリティーの人たちの声に、どう耳を傾けるのか。女神という存在が失われたことは、私たちの社会でそういった対話の可能性が失われていることの表れだと私は思う。この本が、そのことを考える機会になればと願っています」(編集委員・柏崎歓)=朝日新聞2025年12月3日掲載