小さい頃から、歩くのが速かった。「意気込んでいるわけではなくて、どうやらそれが性に合っているっぽいのです」。様々な表現を続けるくどうれいんさんが、エッセー集「もうしばらくは早歩き」(新潮社)を出した。
「湯気を食べる」など食のエッセーで人気を集める一方、小説「氷柱(つらら)の声」では芥川賞候補に。今年は、染野太朗さんとの歌集「恋のすべて」も話題になった。そんなくどうさんが、新たなエッセー集でテーマにしたのは「移動」だ。
盛岡から東京まで乗る新幹線が「覚悟するには速すぎる」こと。飛行機がこわくて、遺書みたいな手紙を書いたこと。タイでゾウの背中に乗った時のこと。
そして、一番シンプルな移動方法である「歩く」ことについても。
〈ゆっくり歩いたほうがのんびりとしているように見えて、豊かで余裕があっていい。わかっていても、足が勝手に前に出てしまう。進んでいないと落ち着かない〉
作家としての歩みも止まらない。今年は、文庫化も含め、8冊の本を世に出した。「みんなにはものすごく早歩きに見えたとしても、自分としたら適切な速度」。無理をしている感覚はないのだという。
「ブルドーザーみたいな状態」は長く続いている。中学の文化祭では、生徒会副会長をやりながら、吹奏楽部の部長で、特設演劇部にも入り、クラスで後夜祭のリーダーも務めた。高校の文芸部では、小説のほか、俳句に小説、児童文学など、あらゆるジャンルに挑戦した。
そして作家になった今、小説のしんどさが、エッセーの原動力になったり、短歌が書けなくても絵本が書けたり。「どれかがだめになっても、どれかがあるから走っていられる。一つに絞る方がよっぽど覚悟っぽい気持ちになる」
だが、エッセーに取り組む時には慎重さも持ち合わせている。何でも書きたいと思っていた時期もあったが、「今はむしろ、何を書かずに書けるか」。ささいなことでどれだけ展開できるかに興味が向いているという。「感動からは割と遠ざかりたいと思っている。日常の手触りを書いていきたい」
暮らしがたのしいから、書いている。書くために、暮らしているわけではない。大切な家族や友達は「私のネタ」ではないし、自分だけのための自分も大事にとっておきたい。「いつまでも書くことをたのしいものにしておきたいから」。書き続けるために、すべては差し出さない。
それでも、「ネタ切れ」の心配はないという。「たぶん来年も早歩きだと思います」。もうしばらくは、このままの速度で歩き続ける。(堀越理菜)=朝日新聞2025年12月17日掲載