青山七恵さん(小説家)
①両膝(りょうひざ)を怪我(けが)したわたしの聖女(アンドレア・アブレウ著、村岡直子、五十嵐絢音訳、国書刊行会・3190円)
②たえまない光の足し算(日比野コレコ著、文芸春秋・1980円)
③コンパートメントNo.6(ロサ・リクソム著、末延弘子訳、みすず書房・3630円)
古なじみの友とお行儀わるくだべり、言葉とはげしく取っ組みあい、うんと遠いところへ旅に出る。そんなことをこの先いっそう真剣にやっていこう、と思わせてくれる3冊でした。
①カナリア諸島、悪ガキ少女二人組の夏休み。ワイルドすぎるし汚すぎるのだけど、いま「愛」という言葉から、まっさきに思い浮かぶのはこの二人の関係。②不可思議な光景のなかにきらめき暴発し殺気立つ言葉。どの一文を切り取っても、その一文にこの小説のすべてがある。全ページ釘付けにされた。③シベリア鉄道、同じコンパートメントで旅をする寡黙な少女と荒くれ者の男。雪景色の先に運ばれてゆく感情は、揺られ、擦(こす)れ、静かに爆発する。そっけないのに雄弁な、気骨ある文体に痺(しび)れた。
石井美保さん(文化人類学者)
①至上の幸福をつかさどる家(アルンダティ・ロイ著、パロミタ友美訳、春秋社・4180円)
②海風クラブ(呉明益著、三浦裕子訳、KADOKAWA・3080円)
③オマルの日記 ガザの戦火の下で(オマル・ハマド著、最所篤子編訳、海と月社・1980円)
今年出会った本の中から、見えない糸で結ばれているかのように、重なりあう声が聞こえてくる。①インド軍の占領下にあるカシミールで、抵抗運動の闘士となったムーサーは言う。「自由以上に、今や尊厳のための戦いだ」。②破壊的な開発に立ち向かう台湾原住民族の若者、ドゥヌは呟(つぶや)く。「もし俺たちが語らなければ、この後もう誰も、俺たちの物語を覚えている人がいなくなるだろう」。③そしてガザの青年、オマルはこう告げる。「悪は絶対に善に勝利することはない」。彼らは皆、巨大な力によって故郷を奪われ、同胞を失ってきた。絶望と悲憤の中で絞り出された肉声が共鳴する。侵略と抑圧と殺戮(さつりく)。世界中で同じことが繰り返されている。この三人のことを、ずっと忘れない。
隠岐さや香さん(東京大学教授)
①旧(ふる)きものの衝撃(デイヴィッド・エジャトン著、中澤聡訳、名古屋大学出版会・5940円)
②男性学入門(周司あきら著、光文社新書・990円)
③大日本いじめ帝国(荻上チキ、栗原俊雄著、中央公論新社・1870円)
古いものは意外と残る。紙の書籍はまだ売られているし、石炭の利用は世界から消えていない。テクノロジーは実はそこまで世界を変えないのかもしれない。①は歴史検証により「新しいものほどよい」という思い込みから私たちを自由にする。
一方、人の生き様はゆっくりと新しくなる。「男性」とは一体何者か。本当に皆が「男らしい」のか。②の「男性学」はリアルな男性の姿と人生を考察する分野である。近年はトランスジェンダー男性の経験も取り入れて刷新が起きている。
忘れていたこともある。③は戦時中における日本の「いじめ」を調べた画期的な書物。戦場、学校、銃後に宿った暴力の記憶に圧倒される。同じ過ちを繰り返さないためにどうするべきか。
酒井啓子さん(千葉大学特任教授)
①シオニズム イスラエルと現代世界(鶴見太郎著、岩波新書・1232円)
②食権力の現代史 ナチス「飢餓計画」とその水脈(藤原辰史著、人文書院・2970円)
③脱領域の読書(塩川伸明著、人文書院・3520円)
前作から1年もたたずに次作を発表する作家たちがいる。書かずにはいられない、切羽詰まった危機意識があるからだ。①は気鋭のユダヤ史研究者の新書二作目。歴史を古代から丹念に追った前作と比べ、ガザ戦争を踏まえてイスラエル建国思想たるシオニズムに焦点を絞った、現在進行形の著作である。ガザでの虐殺を止(や)めさせ「再発を防ぐ」ことへの希求が、一貫して底流にある。一方で、生の源泉を構造的に絶つ「食権力」の容赦なさ、飢餓による暴力の凄惨(せいさん)さを論じたのが、②だ。イスラエルとナチス・ドイツの相似性が浮かびあがる。③はロシア東欧研究の知の巨人が、いかに目くるめく、縦横無尽に現代の諸課題を論じるかに圧倒される本。思考と研究は、かくも自由でありたい。
酒井正さん(法政大学教授)
①政党経営文化論(岡野裕元著、成文堂・2750円)
②はじめての日本国債(服部孝洋著、集英社新書・1100円)
③求職者支援訓練のジェンダー分析 受講者のつながる場とエンパワーメント(林亜美著、法律文化社・6820円)
多党化の予兆を垣間見た気がした本年だったが、組織としての政党の姿は見えにくい。各党における候補者リクルートや議員教育の実態に迫った①を読むと、政党の動静の背後には、各党における議員の募集方式や訓練体制の違いもあることが感じられる。財政拡張的な政策を支えるのは国債だが、国債が市場で取引されている事実こそが重要だ。その意味で、国債取引の仕組みという金融関係者の常識をあえて一般向けに解説した②には良識を感じた。③は、雇用保険から漏れ落ちた人々のための安全網である求職者支援訓練の受講者の大半が女性であることに着目し、それが女性が社会とつながる「場」として機能していたことを指摘する力作。世の片隅で静かに働くシステムを照らす3冊だ。