高谷幸さん(東京大学准教授)
①FREE 歴史の終わりで大人になる(レア・イピ著、山田文訳、勁草書房・3300円)
②奔放な生、うつくしい実験(サイディヤ・ハートマン著、榎本空訳、ハーン小路恭子翻訳協力・解説、勁草書房・3960円)
③半分姉弟 1(藤見よいこ著、リイド社・880円)
①と②は、この委員会で出会った書物。①は冷戦崩壊直後のアルバニア、②は20世紀初頭アメリカのゲットーと時代も場所も違うが、社会変動や構造的不平等など個人では如何(いかん)ともしがたい境遇におかれた点は共通だ。そうした状況においてなお自由と自律性を求めて、自らの生を生きようとする人びとの話に惹(ひ)き込まれた。
③は、日本の「ハーフ」と呼ばれる人たちが主人公の漫画。移民をめぐる議論は、管理を主張する立場だけでなく移民の必要性を訴える立場も含め、統治者側の視点に偏り、移民や移民ルーツをもつ人びとの視点は置き去りにされがちだ。この漫画は、「ハーフ」の若者たちの視点や日常を描く。周囲との関係性に葛藤しつつも、かれらもまた自らの生を生きている。
田島木綿子さん(国立科学博物館研究主幹)
①博士が愛した論文(橋本幸士ほか著、日経ナショナル ジオグラフィック・2420円)
②フクロウ(アッカーマン著、鍛原多惠子訳、日経ナショナル ジオグラフィック・3630円)
③クロコダイルに魅せられて(福田雄介著、みすず書房・2860円)
人生を謳歌(おうか)するには何かを偏愛するのも一興。そんな3冊をご紹介しよう。①は研究論文に焦点を当て、19人の研究者の論文への偏愛ぶりや体験談が堪能できるエッセイ集。②は、ギリシャ神話で知恵の象徴とされ、南極を除く全ての大陸に生息するもいまだ謎に満ちるフクロウに関する科学書。左右非対称に位置する耳で夜でも獲物の位置を特定する。静かに飛べる羽の構造は鉄道のパンタグラフに応用されたほど。見た目の愛らしさとうらはらの生粋のハンターぶりを堪能できよう。
③はワニ類のクロコダイルに魅せられた研究者のエッセイ集。10代で渡豪し、豪州政府機関でワニ保全に全力を尽くす。偏愛を極める道を教えてくれるだろう。
中澤達哉さん(早稲田大学教授)
①独裁と喝采 カール・シュミット〈民主主義〉論の成立(松本彩花著、慶応義塾大学出版会・6600円)
②祖国のために死ぬこと 新装版(E・H・カントロヴィッチ著、甚野尚志訳、みすず書房・4620円)
③ウクライナの形成 革命期ロシアの民族と自治(村田優樹著、東京大学出版会・3960円)
今年ほど民主主義が問われた年はない。機能不全、独裁との紙一重、次々と繰り出される国家の暴力……。これらを、第2期トランプ政権、イスラエル・パレスチナ戦争、ロシア・ウクライナ戦争から垣間見ることができた。①は政治思想家カール・シュミットの民主主義論の形成過程を探る。独裁や指導者への喝采がどのようにして生じるか、その機制を解明する良書。②は第2次世界大戦にみるように、「祖国」のために死ぬ行為がなぜ神聖とみなされるのか、その淵源(えんげん)をキリスト教理念の国家理念への転用とみる古典的名著の新装版。③はウクライナという民族自治領域がいかに形成されたか、その過程を論じ、現代ウクライナ問題に至る本質を炙(あぶ)り出す名著。
野矢茂樹さん(哲学者)
①僕には鳥の言葉がわかる(鈴木俊貴著、小学館・1870円)
②科学的思考入門(植原亮著、講談社現代新書・1210円)
③家守綺譚(いえもりきたん)上・下(近藤ようこ漫画、梨木香歩原作、新潮社・上1870円、下1815円)
大ベストセラー①をいまさら取り上げる意味はないのだが、ご本人に会ったときに、今年の3点に入れると宣言してしまったのだ。実際、「何が」分かったのかよりも、「いかに」分かったのかのところが呆(あき)れ返るくらい面白かった。②は大量の情報に踊らされないために必須のリテラシー。感心するのは、的確で興味深い問題を配置しながら読者を引っ張っていく手腕。労作である。③は梨木香歩の短編集の漫画化。怪異が日常に入り込む。あっちの世界とこっちの世界がつながっている空気感。そして、それを少しは戸惑いながら淡々と受け止める主人公の表情。それが繊細なタッチで描き出される。原画展を見に行ったらご本人がいて、これも今年の3点に入れたいと伝えてしまったのでした。
藤井光さん(東京大学准教授)
①コンパートメントNo.6(ロサ・リクソム著、末延弘子訳、みすず書房・3630円)
②百日と無限の夜(谷崎由依著、集英社・2420円)
③匂いに呼ばれて(関口涼子著、講談社・2200円)
僕に見える世界を押し広げてくれた3冊を選びました。衰退するソ連を列車で旅するフィンランド人留学生を主人公にする①は、乗り合わせたロシア人男性の労働者のもがくような振る舞い、そして車窓から見える荒涼とした風景に、存在の孤独という感覚を強烈に刻み込んでいます。②は、出産と育児をすぐ近くで見ていても、それは見ているだけだったのだ、と自分の体験を振り返って痛感するとともに、現実と幻想、過去と現在を行き来しつつぐいぐい突き進む語り口にしびれました。嗅覚(きゅうかく)が鈍い僕にとって③は、匂いという、具体的な身体や空間に根ざした経験に言葉で鮮やかに分け入っていき、「リアル」を幾重にも奥行きのあるものとして見せてくれる、忘れがたい本です。
保阪正康さん(ノンフィクション作家)
①飛脚は何を運んだのか(巻島隆著、ちくま新書・1430円)
②昏(くら)い時代の読書 宮嶋資夫から野坂昭如へ(道籏泰三著、講談社選書メチエ・2420円)
③リトルトーキョーは語る(南川文里著、名古屋大学出版会・5940円)
今年は在宅が多く、書に触れる時間を得た。①は江戸時代の飛脚制度を多角的に調べ上げての労作。その視点にも教えられた。特に戦国体制に戻さない知恵や現代の宅配便に通じる賠償や信頼の仕組み、業者の先見性には驚かされる。意外なことに町人の手紙も廉価で運んでいたという。
②は、5人の作家の軌跡を追い、そこに共通する挫折や懊悩(おうのう)に焦点を当てる。作家の精神を読者の中に取り入れることで、時代に潜む真の呟(つぶや)きを共有しようとの姿勢に納得。新しい読書論、書評論と言えようか。
③は日系2世のアメリカ社会における歴史と国家への帰依、トモヤ・カワキタの反逆罪裁判などを深く掘り下げる。本書は日系2世史分析の到達点である。