透明なスプーンでカップのシャーベットをサクッとすくい、母の少し開いた口に含ませると、その目がぱっと輝きます。
マンゴー味の香りと甘さ、なによりも氷の冷たさが、寝たきりの母のぼんやりとした意識を目覚めさせるのでしょう。あまりしゃべることもなく、口を閉ざしている母が「おいしい」とつぶやくのでした。
病院のベッドに仰向けに横たわり、明るさから逃れるように窓の方から顔をそむけ、母はうつらうつらとしていることが多くなりました。横顔にも首にもシミが点々とひろがっています。シャーベットの雫(しずく)でぬれた口もとをティッシュペーパーで拭うと、母はまろやかな表情で笑みを浮かべ、息子をつぶらな目で見つめます。
母は94歳、自分でもう歩くことはできません。ここ3カ月ほどは寝たきり状態でやせ細り、血流が悪くなり皮膚がただれる「褥瘡(じょくそう)」を防ぐため、看護師さんが身体の向きは変えてくれてはいますが、ずっと仰向けのままの状態です。
16年前、腰を痛め、やはり寝たきりだった当時80歳の父は、ベッドの柵を握ってなんとか起き上がろうとしていましたが、母は身体をベッドに横たえてあらがうこともなく「みなさん、よくしてくださって、ありがとうございます」と、認知能力の衰退もあるのでしょうが、だれにでも礼を述べるのでした。
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8月の半ばだったと思います。母がいる病院から散歩がてらに歩いて帰る途中、道路沿いに大きなサルスベリの木を見つけました。黄色っぽい外壁のアパートを背にして、駐車場の片すみに植えられたその木の、噴水のように伸びた枝のそれぞれに縮れた紅の花がびっしり咲いていました。
花の重さのために枝もいくらか垂れるといった感じで、紅の塊の華やかな印象のわりには幹は細く、最初はすべすべした樹皮に気がつかなくてサルスベリだと思いませんでした。
「皮がツルツルして、サルもすべるけんね、だからサルスベリと言うとさ」
強い土地の訛(なま)りのあることばで、母からその話を聞いたのはほんとうに遠い昔のことで、子どもの頃のそんな記憶もよみがえり、サルスベリのその道を時々通るようになりました。
一度、陽射しの強い午後、ベビーカーを押した日傘の女性を木陰で見たことがあります。たぶん、迎えのクルマを待っていたのでしょう、ベビーカーをゆっくり前後にゆすりながら、なにか語りかけています。
白っぽいフードで中に横たわっている赤ちゃんの顔は見えませんでしたが、無垢(むく)の眼に夢のように映る紅い花影を思い、母の病室にも一本のサルスベリの木が生えていたらいいのにと奇妙な想像をふくらませていました。花の下で眠ることができたら、母の仰向けの寝たきりの辛さもいくらかは安らぐかもしれません。
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サルスベリの花が病院の近くに咲いているから、今度、見にいきたいねえと母に話したら、「見てみたいです」と、母もぼんやりとした意識のまま寝言のように繰り返すのでした。サルがすべるからサルスベリと呼ぶけれど、百日も長く咲くから「百日紅」と書くそうだねと語りかけながら、母の半開きの唇にシャーベットのひと匙(さじ)をそっと含ませます。
母は小鳥のような丸い目をはっと見開いて、「おいしい。ありがとうございます」とつぶやきます。不思議なことに母から土地の訛りが今はほとんど消えてしまいました。
他人行儀なよそよそしい口調がなんだかせつなくもあり、「痛いところはなかね」「夜は眠れるね」「寂しくはなかね」と次々に問いかけたら、母はそのひとつひとつに「だいじょうぶです」とていねいに答えて、「今が一番、幸せです」と実に満ち足りた顔で話すので、あっけにとられてもうなにも言えなくなるのでした。=朝日新聞2024年10月7日掲載