大型の路線バスにまじって走る小型の乗り合いバスを見かけるようになったのは、もう、ずいぶん前だったと思います。バス停の横に別の時刻表の標識がいつのまにか立っていたり、幹線道路からそれた狭い道路にワゴン車がぬっと現れ、人々が乗りこんだりするのを見た記憶もあります。
地域バスとか、コミュニティーバスとか、乗り合いタクシーなど呼び方はさまざまですが、大型バスが乗り入れられない地域にも公共交通機関網が広がっていったようでしたが、利用する機会はありませんでした。
最近、高台のある施設に通う必要がでてきて、ほぼ毎日、そんなバスを利用するようになりました。1時間に2本、商業施設と高台の団地を片道20分程度で往復する小型バスで、大型バスの後からくっつくように走ってくる姿はどこかかわいらしく、赤い車体とクリームイエローの車体と2種類の車両があります。
赤い車両の座席数は数えてみたら大型バスの半分以下の16席でした。木枠がついた赤い布のシートはレトロな感じですが、電子決済も使えて設備は大型バスと変わりません。特徴的なのはやはり幹線道路からはずれて裏道といった趣の生活道路を走ることでしょう。
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長崎は起伏が多い地形で三方を山に囲まれ、場所が変わると、日頃、見なれた景色が一変します。平地に密集するビルや住宅を高台から一望して、ああ、自分がこんな世界に住んでいるのかと実感するときの驚きは、たとえば飛行機の離着陸時、自分が暮らしている世界からだんだんと脱していく感じや、新しい世界に降り立っていくわくわく感とどこか似ているかもしれません。
毎日の生活圏から少し離れた場所に行くだけの、15分ぐらいのわずかな移動なのですが、そんな景色の変化をながめていると、ちょっとした旅の気分にもなります。
マイカーを使えば待ち時間もないのですが、1年前、自家用車を手放していました。父から形見のように譲り受けたクルマでしたが、父が亡くなって15年、時代遅れのデザインはさすがに恥ずかしく、コロナ禍に外出の機会もなく、車検が切れるタイミングで手放し、新車も購入しませんでした。
住んでいるところが、交通の利便性がわりとよく、公共交通機関を使い、レンタカーやカーシェアリングの利用も考慮しての判断でしたが、ほんとうは運転がめんどうという、ひそかな理由がありました。
当たり前の話ですが、運転していたら前を見て、安全運転を心がけて目的地に向かわなければならず、ドライバーがあたりをのんびりながめたりはできません。窓の外の景色をながめられる客でいた方がドライバーよりも気楽でいいという、ナマケモノの思いもあったのです。
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長い坂道を上っては下り、団地や公園のあいだの細い道路をバスは走っていきます。黄色い房の花が点々とたれさがる街路樹はナンキンハゼでしょう。手が届くくらいのところに見えます。公園の裏には小さな川が流れ、その護岸がぐっと急な斜面地になり、マンションや病院など鉄筋コンクリートの大きな建物が積み重ねられるようにそびえ、斜面全体が巨大な塔にも見えました。
「外国みたいだ」と、地平線に日が昇り降りする平野の市街地で育ったひとから言われたことがありました。洋風住宅や石畳の異国情緒を長崎はよく語られますが、急斜面の地形そのものに異国の雰囲気があるのでしょう。
細い斜面の路地から黄色い帽子にランドセル姿の新1年生らしい子どもたちが現れ、夏休みが近いことを思いだしました。
毎日、ながめていたら驚きもなくなるのでしょうが、ひと夏くらいは15分間の旅を楽しむことができそうです。=朝日新聞2024年8月12日掲載