客観的事実、自分が認識していること、他人が認識していることはどれも違い、三つのはざまで立ち位置を決めようともがくのが人なのだ――。羽田圭介の小説『その針がさすのは』(新潮社・1925円)を読み、そんな思いが湧き上がる。
不妊治療を続ける30代の夫婦、毅志と沙織は東京・中野に住む。閉館したポピュラー音楽の殿堂「中野サンプラザ」が残る街だ。夫婦も親しい友もバンドつながりで、音楽や音楽にかかわる道具が、人をつなぎ、状況を切り替える装置にもなっていく。
望んでいたはずの沙織の妊娠を聞いたり、長年の友人の知られざる素顔を知ったりすることで、毅志は自分の「座標」を見失う。戸惑いながら相手との関係を再定義するなかで、自分の内面を見つめ深奥へ降りていく、孤独の薫りが立ち上る。
自分が相手に感じる近しさほど相手には自分が近しくないと気づく衝撃は、身近な相手ほど大きい。でも、人は結局「ひとり」が出発点だと自覚してこそ、誰かと心を交わす「和音(ハーモニー)」に心打たれるのだ。(星野学)=朝日新聞2026年2月7日掲載