後発組だからこそ、歴史漫画の常識を覆せた
――2015年に刊行された角川まんが学習シリーズ「日本の歴史」が累計1000万部を突破しました。後発ながらも「学習まんが・日本の歴史」のジャンルでトップになったシリーズの特色とは?
石井:大きな反響をいただいたのは、サイズ感、いわゆる判型です。当初は他社の先行商品にならい、学校図書館での耐久性を考えた菊判ハードカバーで作る予定でしたが、営業担当が調べた結果、後発の当社が学校図書館の枠に食い込むのは非常に難しいことが見えてきたんですね。
それならば、ご家庭で読んでもらう本にしようと方向性が決まったのですが、会議中に上司が「うちの子はいつも寝っ転がって読むから、硬くて重い本は読まない。普通の漫画に近いソフトカバーがいいんじゃない?」と提案したんですね。
「いや、やっぱりハードカバーじゃないと」という反発の声も根強かったのですが、じゃあ試してみようという話になったので、会社に社員のお子さんを大勢呼んで調査をしたんです。ソフトカバーとハードカバー、両方のダミー本を用意して、子どもたちに読みやすさなどを比べてもらったところ、全員がソフトカバーを選んだ。それが決め手となって、最終的に今の判型に決まりました。
――漫画の内容については、どのような工夫をしたのでしょうか。
石井:私を含め、学習漫画の編集経験があるメンバーは一人もいませんでしたが、漫画やアニメなどエンタメ系の経験が豊富な編集者が多かったことが上手く活きたように思います。
カバーイラストをお願いする際も、ポージングや表情、肖像画への寄せ方まで、編集部で何度も話し合って構図を決めた上で作家さんに依頼していますし、漫画として楽しく読んでもらうために、シナリオ制作の段階から決め台詞やコマ割りに徹底的にこだわり、詳細なラフを切りました。学習漫画ですから、各時代のキーワードも必ず伝わる形で盛り込んでいます。
歴史って、そのままでも十分に面白いんですよ。そのままでも面白いものを、私たちはさらにわかりやすくエンタメにした。その徹底したこだわりがシリーズ累計1000万部突破に繋がったのだと思っています。
描かれなかった女性たちの可視化
――刊行10周年となる2025年には、1~15巻の内容や表現を全面的に見直すアップデートが行われました。具体的にどのような変更があったのでしょうか。
石井:刊行時に監修をお願いした東京大学史料編纂所の山本博文先生が2020年にお亡くなりになられた後、別巻を監修くださった岡美穂子先生(東京大学史料編纂所准教授)に全巻を読んでいただいたところ、「今の研究から見ると古い記述がかなりあります」と指摘されたのがきっかけです。
10年経てば研究も進みますから、記述が古くなる部分も当然出てきます。学習指導要領の改訂に合わせて教科書が変化するように、それを反映することは間違いの修正ではなく、歴史の更新(アップデート)だと私たちは考えています。
それならば10周年という節目に全巻をアップデートしようという流れになり、岡先生にご相談して計5名の先生方による新しい監修体制を整えました。
――その中で1~3巻の監修を担当されたのが稲田奈津子先生だそうですね。
稲田:私の専門は古代史です。学習漫画の監修は今回が初めてでしたが、私が担当する古代史の巻を拝見したとき、大きな違和感がありました。それは古代の人々の生活において、女性の数が圧倒的に少なく描かれていたことです。
旧石器時代から縄文・弥生、古墳時代にかけての史料は非常に少ないんですね。つまり、古墳時代までの歴史を漫画で表現しようとすると、必然的にほとんどが名もなき人々の物語になります。その不均衡を修正するために、いわゆるモブキャラ(群衆や背景キャラ)的な人々の女性の割合を半数まで増やしてほしいとお願いしました。
――旧版と改訂版を見比べると、単に女性の人数が増えただけでなく、男性のみで描かれていた狩猟やリーダーたちが話し合う意思決定の場にも女性が加わっています。
稲田:私の専門は文献史学でして、考古学ではありませんが、近年の考古学研究においても、女性も狩りに参加していたことが、狩猟者と見られる人骨の4割が女性だったなどの分析結果から判明しています。
「女は狩りに役に立たないだろう」と思う人もいるかもしれませんが、腕力で獲物を仕留めることだけが狩りではありません。むしろ、全体の工程を考えると、獲物がどこにいるのかを探しに行き、時には忍耐強く出てくるのを待つ時間のほうがずっと多いはず。その意味でも、狩りは男性だけの役割だったと決めつけるほうが不自然です。
同じように、「土器を作るのは女の仕事」というイメージもなかなか更新されていません。教科書や資料集などでは、いまだに男が狩りに出かけ、女が土器を作るイラストが掲載されていますし、国内外の博物館の展示でも同様の構図が再現されています。
ジェンダー視点から考古学を読み解く研究については、岡山大学の松本直子先生をはじめ海外でもさまざまな研究が進んでいます。そのような現時点での研究からわかっていることを踏まえて、「日本の歴史」シリーズの古代史の巻では、性別で役割を割り振らないような絵に修正してもらいました。
石井:漫画は、無意識に刷り込まれたジェンダー観が出やすいメディアです。漫画家さんは「男は狩り、女は土器作りをしている絵を」と細かに指示されて描いたわけではなく、われわれ制作側のジェンダー観が無意識に出た結果なのだと思います。
稲田:日常の振る舞いに関しても同じことが起きています。象徴的なのが「座り方」です。旧版の漫画では、「女の子はあぐらをかかないもの」として描かれていました。
近い例として思い浮かんだのが、大阪府立弥生文化博物館にある竪穴住居のジオラマです。そこでは父母と兄、妹と見られる4人が団らんする光景が再現されているのですが、お母さんと女の子だけが正座に近い座り方をしているんですね。給仕をするお母さんの横では、お父さんはあぐらをかいている。
弥生時代の女性は絶対に正座はしなかった、と主張したいわけではありません。ただ、土の地面の上で正座をすることを想像してみたら痛いですよね? グラウンドで組体操をしたとき、膝が痛くなりませんでしたか? わざわざ女性だけが正座をしていたとは考えづらいのです。
歴史学や考古学はこれまで圧倒的に男性研究者が多い学問でしたから、その違和感に気付く人が少なかったのだと思います。
――編集者としてシリーズの立ち上げから関わってきた石井さんとしては、稲田先生からの修正提案をどう受け止められましたか。
石井:まさに雷に打たれたような衝撃でした。無意識に男女でポーズを描き分けた漫画家さんや、それに違和感を持たなかった私の中に昭和的な性別の固定観念があったことに初めて気づかされました。女性のあぐらに関しても、現代人が持つ恥じらいの意識が、当時の人々の姿を歪めていた側面もあるかもしれません。
ですから、今回のアップデートでは作画担当の漫画家さんに、稲田先生からのご指摘を丁寧にお伝えして、ご理解いただいた上で本当に細かいところまで描き直していただきました。
稲田:日本だと弥生時代でも女性は正座で描かれますが、これが韓国だと「片膝立ち」のポーズになるんですよ。なぜなら、韓国の高齢者世代にとっては、古式ゆかしい女性の座り方がそれだからです。つまり、どの国も無意識に今の自分たちの価値観を通して歴史を描いてしまう。そのフィルターを剥がすことに意味があると考えました。
推古天皇と卑弥呼、女性政治家の実像に迫る
――飛鳥~奈良時代を描いた2巻では、聖徳太子の描かれ方がアップデートされています。
稲田:聖徳太子が推古天皇の「摂政」だった、という表現も訂正してもらいました。聖徳太子が女性の推古天皇を支えたことは「日本書紀」に書かれており、歴史的に嘘ではありませんが、その記述をそのまま信用していいのか、という視点があります。
「日本書紀」は聖徳太子が亡くなってから約百年後の奈良時代に完成した国史です。当時の日本は、家父長制を社会の主体とする中国の儒教文化の影響を大いに受けていましたから、「女性の天皇が一人で政治を行えるはずがない」という歴史観が国書の編纂に影響を及ぼしたのだと考えられます。
けれども、推古天皇は聖徳太子の死後も含め、約36年間も安定的な政権を築いた人物であり、近年の研究では彼女自身の手腕や能力をより高く評価すべきだという見方が強まっています。
――「女性天皇は一時的な中継ぎ」と学校で教わった世代にとっても勉強になります。
稲田:そもそも摂政は本来、幼い天皇に代わって政務を担う役割ですから、「子どもと同様に女にも政治能力はない」という後の時代の発想によって、史実とは違う解釈がされたのだと考えられます。
石井:時代が前後しますが、卑弥呼にも推古天皇と同じようなイメージが植え付けられていますよね。
稲田:3世紀の日本の様子を記した中国の書「魏志倭人伝」では、邪馬台国の女王卑弥呼が呪術で国を治め、めったに人前に姿を現さなかったとの記述があります。
このことから従来は、「卑弥呼は不思議な力はあったが、政務は弟が担っていた」という理解がなされてきました。ですが、帝京大学名誉教授の義江明子先生は、卑弥呼に限らず、当時の大王は男性であっても不思議な力を持ち、めったに人前に姿を現さなかった、という描写が存在することを指摘しました。女性の卑弥呼だけが政治能力よりも不思議な力が強調された見方をしているのは、よく考えると違和感がありますよね。
改訂版では、古代においては「聖なる力」と「政治能力」は未分化であり、卑弥呼自身にも卓越した外交能力があったこと、単なる宗教的権威ではない「政治家」としての姿を打ち出してもらいました。
――小中学生はもちろん、大人が読んでも新鮮な驚きにたくさん出合えそうです。最後に、漫画というメディアで歴史を学ぶ意味について、お二人の考えを教えてください。
稲田:自分が興味がある一部だけを切り取るのではなく、大きな流れをまんべんなく、視覚的に学べることが歴史漫画シリーズの長所だと私は感じています。知識と視覚情報が同時に入ってくることで、理解は間違いなく深まりますから。
石井:「学習漫画」と謳っている以上は、必ず学校の勉強の役に立つ漫画であることを常に前提として意識しています。その上で、今回のアップデートのように、教科書の一歩先の新しい研究成果を反映できることも歴史漫画だからこその良さです。編集者としても、そこに大きなやりがいを感じています。