極上の娯楽小説「虚空蔵の峯」 現代にも通じる飯嶋和一のまなざし(第36回)
大変だ。どうやら私たちは、飯嶋和一が直木賞未受賞の世界線に生きているらしい。
新作長篇『虚空蔵の峯』(小学館)が刊行された。飯嶋は寡作の部類に入る作家で、作品の間が数年開くことも珍しくない。半年前に鄭成功を主人公とする大部の歴史小説『南海王国記』(小学館)が出たばかりなのに新刊が出るのは異例のことなのである
読まなくては、と思い立ったついでに、そういえば飯嶋和一はどの作品で直木賞を獲ったのだっけ、『始祖鳥記』(2000年。小学館文庫)あたりかな、と検索してみて驚いた。
飯嶋和一、直木賞獲ってない。
目を疑った。なんと候補作になったことすらない。
いや、おかしいだろう。飯嶋和一が直木賞を獲っていない並行世界に迷い込んでしまったのかと思うくらいに違和感を覚えた。もしかするとこの世界では直木三十五賞ではなく三十六賞とか三十七賞がやりとりされているのかもしれない。
飯嶋は民衆史の作家である。過去作もそうした傾向のものが多く、たとえば17世紀の生瀬騒動を描いた『神無き十番目の夜』(1997年/小学館文庫)、幕末の隠岐騒動を題材とした『狗賓童子の島』(2015年/小学館文庫)などは民衆蜂起の物語であった。民衆の営みが積み重なって形成されるのが歴史であり、文章として記述されるような事件は、その一部が表出したものに過ぎない。だから飯嶋は英雄伝から目を背け、民衆が何をしたか、何を訴えたかを書き続けているのだ。大衆文学を対象とする直木賞にこれほどふさわしい作家が他にいるだろうか。そのことを強く訴えるために、以下の文章は書くことにする。
『虚空蔵の峯』は1754(宝暦4)年から1758(宝暦9)年にかけて起きた郡上一揆を描いた物語である。事件が起きた郡上は現在の岐阜県郡上市、当時は金森氏が治めていた。
宝暦年間は幕府の体制が大きく揺らいだ時期である。18世紀前半の享保年間に8代将軍徳川吉宗は農本主義の施策で体制の引き締めを行い、一定の成功を収めた。だが貨幣経済の進展は止めようもなく、収入基盤が農民からの租税に頼る幕府は社会変動についていけなくなる。1780年代には天明の大飢饉もあって財政は破綻の一途を辿り、幕府はついに緊縮施策の強行や言論弾圧などの恐怖政治でしか社会秩序が維持できないほどに弱体化してしまうのである。郡上一揆は崩壊の前兆だったと見ることもできる。
本作の記述は大きく2つに分けられる。ひとつは、一揆の当事者それぞれに光を当て、俯瞰的に状況を描いていくパートだ。膨大な資料を元に事実関係を整理し、読みやすい形でそれを配置していく叙述が飯嶋作品では主部となることが多い。本作では特に、郡上の農民たちから幕府に提出した訴願状が重要であるので、それを書き下して現代語訳した文章が頻出する。苦しみながら生きている者たちの血を吐くような声が訴願状という公式文書から聞こえてくる。小説の肝はこの声を聞かせることにある。
もうひとつの記述は、江戸の公事宿・秩父屋半七のものだ。公事宿とは、出訴のため公的機関のある場所までやってくる者たちを泊め、裁判の手伝いもするという特殊な業者である。多くの出訴人を見てきた半七だが、郡上藩の農民たちがあまりにも清潔な態度であることに興味を惹かれ、彼らの多幸を祈るようになる。郡上の人々に肩入れはするものの、あくまで公事宿主人という立場は踏み越えない。その意味では第三者なのだが、同時に彼は訴願状に記された郡上藩金森家の横暴に怒りを覚えもする。現代人に近い位置にいる歴史の観察者でもあるのだ。
郡上藩主の金森氏には、元は飛騨(岐阜県)1国を領していたが、紆余曲折あって郡上藩のみに領地を削減された過去がある。そのため当時の藩主・金森頼錦は政治活動によって家運を上げようと画策したが、資金調達の手段として領民を極限まで絞り上げることを選択してしまった。その理不尽さに耐えかねた農民たちが反撃に出たのである。
一揆の発端は、金森家が税制を一方的に改めようとしたことだった。過去の検地を元に定められていた土地の価値を無視し、恣意的に税額を決められる有毛検見(ありげけみ)取を導入するという無茶である。郡上藩はそれに伴い、自藩とは関係ない幕府直轄領の代官を動員し、中央の権力を借りる形で農民たちを脅迫した。制度の恣意的な改変と、正規の手続きを踏まない法規の無視である。金森家は姻戚関係などで、老中・本多伯耆守正珍らの幕閣ともつながっていた。それに甘えた横暴であろう。このことが後に明るみに出て、金森氏のみならず、不正に関与した者たちが軒並み処罰されるという一大疑獄事件に発展する。
物語の前半では、農民たちの訴えはまったく実を結ぶことがない。非常手段である直訴の結果、ようやく江戸で調べが始まるのだが、奉行所から郡上藩の役人に注意が与えられるだけという結果に終わってしまう。支配者と民衆の間にはそれだけの権力勾配があり、容易には覆せないのである。
作者は半七の視点を使って「郡上藩は民から強奪を繰り返す強盗団のようなもの」と書き、俯瞰的な神の視点では藩主・金親頼錦を「領主として民の暮らしを護る責務を知らず、何より領民に対する慈愛を持ちあわせていなかった」と断罪する。だが、作者の関心はわかりやすい勧善懲悪に向かってはいない。このことには読者の注意を呼びかけたい。
一揆が始まったことで郡上藩内の農民はふたつの陣営に分かれる。あくまで一揆を完遂してオカミに自らの意志を伝えようとする立者(立百姓)と、体制に咎められることを忌避して命に従おうとする寝者である。立者の農民の中には、自分たちだけが租税によって縛られ、そのためにこしらえた借金で田畑を奪われることを憤って富商の打ちこわしに及ぶ者も現れる。これによって町衆と農民の対立構造が生じるのだ。権力者による支配が社会の分断を促すという、やるせない現実も本作では描かれるのである。社会を敵に回したとき個人は圧倒的に無力であり、だからこそ理不尽な形で言葉を封じられ、時には生命さえも奪われる。その残酷さが、事実を積み重ねる叙述によって浮き彫りにされていく。
一揆に関わった者たちは無傷でいられず、皆重い処分を受けることになる。幕府というオカミが金森氏の郡上藩を裁くために用いたのは、自分たちのための正義だったのだ。幕府の決めた法の手続きを歪めたゆえに、金森頼錦は許されなかった。そのような体制維持が幕府にとっての最優先すべき課題だとするならば、社会秩序を揺るがす行いをした一揆の首謀者たちも許されるはずはない、治安維持という大義名分の前には、個人の命などは虫けらのように踏みにじられる。その非人間性がとことん恐ろしく感じられる。
だが、首謀者は死罪を命じられるかもしれないが「彼らの思いまでは裁くことはできない」と半七は思う。国家がいかに横暴であっても民の心までは支配できないのだ、という述懐は飯嶋の願いそのものだろう。
『虚空蔵の峯』という題名は、一揆の首謀者たちが、郡上の白山中居神社に報じられた虚空蔵菩薩を篤く信仰していることから来ている。この信仰が物語を構成するもうひとつの柱なのである。身を捨てて権力者の間違いを正そうとする者たちの信念はそこから生まれてくるものと作中では解釈される。反対に、宗教者が世俗の権力におもねる醜い姿も描かれている。信仰者でありながら権力を濫用する側に回った神主の上村豊前は自らの無実を申し立てるが、詮議に当たった阿部伊与守から冷たく言い渡される。
「よいか豊前、神主が神社支配役の寺社奉行に大金を渡しながら返済がまったくないのを、この俗世では贈賄と呼ぶ」
この言葉、言い渡されるべき人間が現在の俗世にも多数いるはずである。
宝暦年間の物語ではあるが、現在の世情と重なる部分がある小説だ。納税者のことを考えずに制度を次々に改悪していく行政の悪、正規の手続きを踏まずに私的な解釈で法を運用しようとする者の愚、暴走した権力が破壊するさまざまなもの、共同体が荒廃した後に到来する寒々しい心の状況、など、などなど。金森氏が咎めを受けたのは、過去の行いについての記録が書面で残っており、それを動かぬ証拠として突き付けられたからだ。公的記録の保存がいかに重要かということまで図らずも痛感させられることになった。
すべて現実のあれこれに当てはめたくなるが、書評の本分を外れるのでここでは避けることにする。もどかしいが、読んだ方それぞれの判断にお任せしたい。もちろん現実と重ね合わせることなく、過去の物語として楽しんで読んでいただいてまったく問題はない。圧巻の迫力で一気に読ませてくれる、極上の娯楽小説でもある。
読むと語りたくて語りたくて仕方なくなる小説を傑作と呼ぶ。『虚空蔵の峯』、語りたくなる小説だ。これを直木賞は受け止められるだろうか。それとも手に余るか。
と思ったら実は作者の側から賞の候補になるのを断っているようだという情報を編集部から教えてもらった。そうなのか、知らなんだ。どこまで硬派なんだ、飯嶋和一。