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自炊料理家・山口祐加さんインタビュー 「食べられる」だけで十分、レシピを手放して見つける自炊の自由さ

山口祐加さん=北原千恵美撮影

【レシピはこちら】

山口祐加さん「私の一品」 「家に帰れば豚汁がある」安心感たっぷりの自炊の味方

「丁寧」と「ズボラ」の真ん中にある、ごく普通の自炊

――山口さんの「自炊料理家」という肩書きはお父さん考案だそうですね。新鮮な響きです。

「自炊」だと、「家庭料理」よりハードルが低い感じがして、気に入っています。先日、『世界自炊紀行』の帯文を書いてくださった作家の内澤旬子さんにお会いしたのですが、内澤さんの世代は「家庭料理」という言葉に苦しめられたと言っていました。戦後、専業主婦の母親がいかに多く品数を作るかというなかで育ってきたから、自分の料理の雑さに対してプレッシャーやコンプレックスがあったそうです。でも、「自炊」という言葉はそこから離れて自由な感じがすると言ってもらい、私自身も勇気をもらいました。

――今の時代、外食や中食など食の選択肢がたくさんあるなかで、自炊はライフスタイルや趣味として捉えられているところもあります。自炊料理家として、どう思いますか。

 世の中にレシピとして紹介されるものは、「○○だけ」などのインパクトがある簡単なレシピか、出汁から取るような丁寧な暮らし系のものか、極端なものばかりが目立ちます。私はその中間、「真ん中」をやりたいんです。それは具体的に言うと、毎日食べても飽きないような、いい意味で「普通のおいしさの料理」のこと。でも、この真ん中をやっている料理家って、いちばん需要があるはずなのに、そんなにたくさんいないなという感じがします。ドーナツ化現象ですね。

 もちろん、日々の暮らしには波がありますから、簡単な電子レンジレシピに助けられる日もあれば、梅仕事をしたい日もある。でも、ほとんどの日々は、ただ焼いたししゃもとか、豆腐の味噌汁とか、泣けるほどおいしいわけでも映えるわけでもないけれど、ほどほどにおいしい食事でいいと思うんです。そういうものを日常のスタンダードにしていけばいいのになと思います。

料理は失敗しても面白い

――7歳のときに初めてお母さんのためにうどんを作ったのが、料理の喜びを知った原体験だそうですが、そこから山口さんはどうやって料理が楽しいと感じるようになったのですか。

 楽しくなかったことがないんですよね、一度も。それが今までもずっと続いている感じです。逆に言うと、この仕事をしている手前、料理が楽しくない人の気持ちが分からないというのは、ある意味コンプレックスです。絶対にそっち側に行けないという感覚があります。

――料理で失敗をしても落ち込むこともないんでしょうか。

 昨日もナスの煮物を失敗しましたけど、なんか面白いんです。「こういう調味料で、これぐらいの時間と火加減で放っておくと、これぐらい焦げるんだな」って、また経験値ゲット、みたいな感じで(笑)。もちろん丸焦げになったら悲しいですけど、そうなることはなかなかないので、食べられればOK、失敗も面白い、と思っちゃいますね。

――私のような料理に苦手意識がある人間からすると、失敗すると「何のための時間だったんだろう」と空しくなってしまいます。「失敗も面白い」と思えるようになるには、どういう心持ちでいれば?

 私は自分が作った料理に何が足りなかったのかを考えることが楽しいんです。外食でも自炊でも、食べながら「こうアレンジしたら、もっとおいしくなりそうだな」とずっと考えています。

 例えば先日、実家に帰ってみて冷蔵庫を開けてみると、母が作った「白菜とホタテのくたくた煮」のようなものがあったんです。味見してみると、私の好みとしてはちょっと甘すぎました。作った翌日というのもあってか、白菜の甘みが出すぎて味のバランスが取れていないように感じたんです。そこで、煎り酒という少し酸味のある調味料を入れて味を整えました。自分の「好き」が分かっているから、「こうしたらおいしくなる」という道筋が見えて、それが楽しいんです。母も、私が作ったものがその時の気分に合わない場合は「明日食べるわ」と言うような人なので、自分の口に合うように変えることは好きにしてね、という感じで。

 ふだん料理をするときって、レシピを見ていますか?

――見ることが多いです。

 レシピを見ることは人それぞれで全然いいと思っているのですが、レシピを見ながら作る際に、それぞれの調味料を入れる理由や自分好みの味を知らないと目指す場所が分からなくなってしまうことがあるなと思います。自分の好きな味、目指す方向が分かっていると、どうすればおいしくなるか見えてきます。同じレシピでも調味料の量を半分にしたり増やしたりして、どっちがおいしかったかを考えてみる。食材の調理時間を変えてみるのもいいですね。自分の好きな味の方向性が見えてくると、料理はすごく楽しいですよ。

レシピよりも身体知に頼れるように

――調味料の分量や調理時間を調整するのは、料理経験を積んでいないとどうしても難しく感じてしまいます。

 それは使っている調味料や調理法が多すぎるからなんじゃないかなと思います。エコーやらキーやらいろいろ調整できてしまうカラオケと同じで、料理も調整できるつまみが多すぎると訳分からなくなっちゃうんです。でも、肉を焼くだけ、野菜を蒸して塩胡椒をかけるだけなら、調整のつまみが少ない。そうやって「この野菜を焼くとこうなる」「この野菜は蒸すとこうなる」「塩加減はこれくらいで十分」といった身体知を貯めていってから、レシピを参考に料理をしてほしいですね。

 最初からレシピに頼りすぎてしまうと、真面目な人ほど、レシピがないと料理できないということになりがちです。初心者レシピから中級へとステップアップはしていくものの、全てレシピが教えてくれるから身体知を貯めることに注力しづらいのではないか、と。

――まさにレシピが外部記憶装置のようになってしまっています。

 それで困っていない人は良いと思うのですが、私みたいにレシピをスクリーンショットで保存してもすぐどこかにやってしまうようなタイプはお気に入りのレシピを探すだけで疲れてしまいます。でも、身体知をたくさん貯めていくと、好きで何度も作る料理は体が覚えてくれます。加えて、新しい食材に出会ってレシピを検索したときも、「この食材の組み合わせならこんな味かな」と、頭の中で味の想像がつくようになるんです。レシピの補助輪を手放して、適当に料理できるようになったとき、めちゃくちゃ料理が楽しいって思えるはずですよ。

自炊には「おいしい」の前に「食べられる」がある

――山口さんはこれまで自炊にまつわるさまざまな著作を出されていますが、エッセイという形は本作がはじめてですね。

 依頼を受けたときは、伊丹十三さんや永井玲衣さん、三浦哲哉さんなど、好きなエッセイストの方々がいらっしゃるなかで、私が書いていいのかなというためらいもありました。エッセイを読むのが好きなだけに、理想が高いんだと思います。

 エッセイには、大きくわけて本当に個人的なことを書いているものと、誰かの役に立ちたいと思って書いているものの二通りがあると思うんです。私は後者のほうが体質的に合っていて、個人の感覚をさらけ出して書くのはちょっと怖かったので、少しでも役に立つエッセイを書きたいと思いながらトピックを選びました。

――2024年4月から世界各地の「自炊」をめぐった旅先での体験も本書で綴られています。読んでいてハッとしたのが、「おいしいか、そうでないか」だけが自炊の価値ではない、という視点でした。

 世界を旅して分かったのは、「おいしい」「おいしくない」以前に、「食べられる」「食べられない」があるということです。脂っこすぎて食べられない、辛すぎて食べられない、衛生的に不安で食べられない。まず「食べられる」と「食べられない」があって、「食べられる」ものの中に「おいしい」と「おいしくない」があるんだと気づきました。

 日本にいると、目の前に出される料理は基本的に「食べられる」ものばかり。だから、料理というと、おいしさの話になってしまうんです。

 例えば、ほうれん草を3分茹でたおひたしは、ほうれん草の味も抜けて食感もかなり柔らかくて、お店で出てきたら「あれ?」って思うかもしれない。でも、乳幼児やご高齢の方が食べるのなら、その柔らかさが必要になってくる。まず大事なのはおいしさよりも、「食べられる」状態なんです。食卓の上に置かれるものの第一関門は、「食べられる」ものであればいい。腐っていない、しょっぱすぎない……。そのハードルをクリアしていれば、十分じゃないかなと思います。

――「食べられるもの」なら、わざわざ自炊しなくても外食でいいじゃないかという声も聞こえてきそうです。

 あまり気がついていない人が多いのですが、外食では食べられないものって意外とたくさんあるんですよ。

――例えば、どんな料理ですか。

 いわゆる「名もなき料理」です。先日イワシが安くて買ったのですが、使いきれずにピーマンに詰めて焼いてみました。ピーマンの肉詰めもなかなかお目にかかれないのに、イワシの身を詰めたものはさらに外食で見かけないですよね。あとは、たまたま冷蔵庫にあったブロッコリーを入れた味噌汁とか。そういう自炊でしか食べられない料理って数えきれないほどたくさんあるんです。

 一方で、外食などですませたほうがいいものもあると思っています。私の場合は、例えばとんかつです。お店で食べたほうがおいしいと思っているので、人生で一度も揚げたことがありません(笑)。でも、家族4人でとんかつ定食を食べたら高くつくから家で揚げる、という人もいる。暮らしの形によって、その選択は変わってきますよね。

――本の執筆も含め、山口さんは「自炊する人を増やす」ことをミッションに活動をされています。自炊する人が増えたら、どんな世界になると思いますか。

 自分の面倒を自分でみられる人が増えるということだと思います。すべて外食じゃないと生きていけませんという人は、どこか生き物として「弱い」状態だと思うんです。外食頼みになってしまうと、お金がなくなったら、たちまち食べられなくなってしまう。それって私は怖いことだと思います。食事ってやっぱり生きることと直結していますから。住む場所も、手軽に外食に頼れる都市部に限られてしまうだろうし。自炊ができると、いろんな意味で生きるための選択肢が広がると思うんです。

 それに、自分で料理をするようになると、料理に対して文句って言えなくなるんじゃないかな。自分では一切作らずに、出てきた料理にだけ文句を言う人って、「やったことがない」からこその無理解なんだと思います。少しでも自炊したことがある人は、他人の謎な自炊料理や失敗に対しても「まあ、そういうこともあるよね」と寄り添うことができる。

 何事もそうやって立場が入れ替わるなかで視点が循環しているほうがよい状態だと思うんです。お互いに対して許容範囲が広くなって、やさしくなれる。もちろん、みんなが上手にできなくてもいいんです。自炊は、食べられるものを作っていれば第一関門クリアですから。