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白石正明「ケアと編集」 「傾き」が魅力に変わる文脈

 ケアとは何か。著者の答えは簡潔だ。その人自身を変えるのではなく、その人がその人のままで生きられるように背景を整えること。つまり、人を変えるのではなく、背景を変える。そして編集という仕事もまた同じなのだという。

 著者の白石さんは医学書院で〈シリーズ ケアをひらく〉を四半世紀にわたり企画編集してきた伝説的人物だ。数々の受賞作を生み出し、シリーズ自体も賞を受けている。同業者として長く畏敬(いけい)の念を抱いてきたが、初の単著である本書で明かされた方法論は、やはり独特なものだった。

 著者が編集の先生と呼ぶのは編集者ではない。北海道・浦河にある精神障害者の生活拠点「べてるの家」のソーシャルワーカー・向谷地生良(むかいやち・いくよし)氏である。ある講演会で、何日もしゃべらなくなったメンバーが舞台に上がると、氏は「まったくしゃべらない芸をします」と言った。会場は大いに沸き、本人もにやりと笑う。しゃべれるように矯正するのではなく、しゃべらないことが芸になるような場をつくったのだ。白石さんはこれを自身の仕事に重ねる。著者の原稿を直すより、その人の「傾き」が魅力に変わる文脈を設(しつら)えることこそ編集なのだ。

 白石さん自身の吃音(きつおん)の体験がこの思想に体温を与えている。準備するほど固まってしまう。だから波が来たら乗る。そして場の空気がほぐれるほうに動いてみる。この感覚は、ケアワークや編集業務に限った話ではないだろう。自分や他人を直接変えようとして行き詰まってしまうという経験は誰にでもある。

 自分や他人を変えるのではなく、人と人のあいだを整えなおす――本書がケアや編集の現場を超えて広く読まれているのは、この発想の転換が、多くの人のこわばった気持ちをほどいてくれるからなのだと思う。=朝日新聞2026年4月18日掲載

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 岩波新書・1056円。25年4月刊、6刷3万1千部。担当者は「編集者の先輩の白石さんを尊敬していて、定年退職を機に依頼した。柔軟な育成や根源的な発想が求められる分野と親和性が高く、学生など若い読者も多い印象」という。