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憲法9条の系譜 戦争違法化への議論を継承 杉田敦

戦争や改憲に反対するプラカードを掲げる人たち=19日、東京都千代田区

 憲法改正に積極的な政治勢力が衆議院で3分の2以上を占める中、首相は改憲への意欲を見せ、武器輸出の解禁など軍事的な手段への傾斜を強めている。改憲派内でも修正箇所については意見が分かれるが、第9条は常に焦点となり、その特殊性が喧伝(けんでん)されてきた。

 しかし、9条は孤立した存在ではなく、その背景には戦争違法化に向けた国内外の多くの議論があり、国際法体制の構築があった。思想史家・山室信一は『憲法9条の思想水脈』(朝日選書・1430円)で、18世紀のサン・ピエールやルソーからカントの『永久平和のために』に至る、国際協調を主軸とする平和構想論の流れを紹介した。自衛権容認論とは異なる非戦論の流れに重きを置く。

源流はアメリカ

 山室は、幕末・明治の横井小楠の戦争廃止論や中江兆民らの議論にふれる。兆民の『三酔人経綸(けいりん)問答』では、小国日本が率先して戦争放棄・軍備撤廃を行い世界に範を示すべしとした「洋学紳士」が、兆民の立場に最も近かったと山室は述べる。実際には、富国強兵を説く「豪傑君」的な思想が支配的となり、日本は日清・日露戦争へと邁進(まいしん)し、田中正造、幸徳秋水、内村鑑三らの非戦論は圧殺されてしまうのであるが。

 9条はより直接的には、こうして「伏流化」した日本の戦争廃絶論とは別のところに源流を持った。それは、1928年の「不戦条約」(ケロッグ・ブリアン協定)である。第1次大戦後、不戦条約を求める運動が、なんとアメリカで、知識人の言論を草の根から支える形で推進されたという経緯を山室は描いた。

 国際政治学者・三牧聖子の『戦争違法化運動の時代』(名古屋大学出版会・6380円)によれば、この運動は、戦争に明け暮れるヨーロッパと、諸州を平和的に統合するアメリカとを対比し、法による秩序を世界に拡大するという発想に基づいていた。

 ただし、中南米でのアメリカの軍事行動を戦争から除外する「モンロー主義」の容認など、重大な限界もあった。また運動内部では、侵略行為への軍事的な制裁の要否をめぐる対立があり、それは制裁を認めない不戦条約と、制裁を認める国連憲章(45年)の評価をめぐる対立とも連動したと三牧は指摘している。

今なお「抑止力」

 不戦条約は何をもたらし、それは9条とどうつながっているのか。憲法学者・長谷部恭男は『憲法の階梯(かいてい)』(有斐閣・5500円)で、戦争を包括的に禁止する不戦条約が、従来のグロティウス的な戦争観、すなわち国際紛争を決着させる「手続き」としての戦争という考え方との決別であったと述べる。17世紀のグロティウスは国際法の父とされるが、彼の「決闘観念に立つ」戦争観(国際法学者・祖川武夫による表現)が、否定された。

 そして、戦争違法規定は「武力による威嚇又は武力の行使」を禁じる国連憲章に継承され、そのまま憲法9条の第1項となる。9条は自衛権をも認めていないという議論は根強いが、こうした文脈をふまえれば、9条が、侵略された場合の自衛の措置まで禁止していないことは明白である、と長谷部は言う。自衛は「決闘」ではないからである。

 カール・シュミットは、戦争違法化体制においては侵略国が人類全体の「敵」と見なされ、かえって節度のない殲滅(せんめつ)戦争が生じると批判した。また、不戦条約成立直後に、日本が満州侵略を「事変」と称して条約違反を回避しようとしたように、戦争違法化が直ちに非戦、武力行使の絶対的な廃絶につながらないことは当初から明らかであった。

 それでも、戦争が国家の当然の権利でなくなったことは、今なお戦争への一定の「抑止力」であると言えよう。少なくとも、いずれの軍事大国も武力行使にあたって、その適法性の証明を求められる。そして、国際法違反の疑いが濃厚な武力行使に協力を求められたような場合に、9条は「抑止力」としての一定の役割を現に果たしているのである。=朝日新聞2026年4月25日掲載