「小説を1本書ききる自信がないくらい、調子を崩していたんです」。島本理生さんが、インタビューの冒頭に打ち明けた。コロナ禍でスランプに陥った。これまでのように書けなくなった。原点に立ち返って、再びつむいだ物語が、新刊「ノスタルジア」(河出書房新社)だ。
コロナにかかり、嗅覚(きゅうかく)に異常が出た。以前の半分ほどしか、においが分からなくなった。「においで、20年前のこともつい昨日のことのように思い出せる。それくらい嗅覚が、心の細かい動きや記憶と密接でした」。小説を書く上で、嗅覚をはじめとする五感に頼っている部分が大きかったと気付いた。そのバランスを欠き、今までのようにいかなくなった。
どうやって小説を書いていこうか。立ち止まった。思えば、直木賞を受けた頃から、執筆ペースが気持ちを追い越していた。小説を書きたくて書いていた自分にもう一回戻ろう。そして、書けない自分にも、年齢を重ねて生じる変化にも、作家として向き合うことにした。すると、人生の記憶がにじみ出る物語になった。
主人公は、島本さんと同世代の小説家、紗文(さあや)だ。5年前に最愛の人を失い、小説も書けずにもがいている。そんな時、知人を通じて創という若者に出会う。創もまた、母を失っていた。紗文は、行き場のない創と一緒に暮らし始める。
構成は決めなかった。「頭の中で作りすぎると、単純化したり、答えを出し過ぎたりしてしまうと思って」。答えがないところに、今の時代性を見いだした。「世界はいつだってコントロールできないけれど、無力感はより大きくなっています。明日何が起きるかも分からない。答えがない世界で、それでも生きていけるエネルギーを取り戻すことが、この小説でめざしたところでした」
紗文は創と過ごすうち、不可思議な現象に遭遇するようになる。それは、「もしも」の先にある分岐した世界線なのかもしれない。創は言う。〈紗文さんは普通に想像したことない? 東日本大震災が起きなかった場合とか、コロナ禍がなかった場合の日本って〉
紗文が、もしも、と問い続けてしまうのは、失った最愛の人のことだ。創との距離が近づいても、逃れられなかった。消えた人への思いをどう終わらせるのか。切実さが、2人を英国の果てまでいざなう。
「紗文は、失われるものが多すぎたから、ずっと正解や永遠が欲しかったんですよね」。だけど、それがなくても、生きていけるし、待つこともできるはず。自分で歩き出してもいい。「私の中でそれさえ実感できれば、紗文と創の関係は、続いても終わっても、よかった」
2人の感情は同じ大きさではないかもしれないが、恋愛に近い関係を互いに見いだして旅に出た。「そんな一瞬の奇跡でも十分かなと。恋愛として成就しなくても、人と人は出会うだけで意味があるから」
愛について語られる場面がある。〈指先が触れたと思った瞬間にはもう離れていて〉〈なにか、一瞬の点滅のような、常に失われていく、ノスタルジアみたいなものかもしれません〉
島本さんにとって、愛とは。「人に求める愛は、拡大したり縮小したりするんですよね。愛だったものをすごく疑ったり、逆に信じられないはずのものを信じてしまったり」。一方で、人に与える愛は、意外と変わっていない。「ただそこにいるだけでいい。最近は、恋愛でも友情でも、それは一緒かもしれないと思うようになりました」
答えは出さずとも、紗文たちらしいラストを描きたかった。最後まで揺れながらも、書き切った。また戻ってこられた場所から、新しい物語が生まれていく。(堀越理菜)=朝日新聞2026年5月20日掲載