英国推理作家協会が優れた犯罪小説やミステリー小説に贈るCWA賞(ダガー賞)の翻訳部門の最終候補6作に、雨穴さんの「変な絵」の英訳版「Strange Pictures」が入った。英訳者は、山口県で暮らす翻訳家、ライオン・ジミーさんだ。運命を大きく変えたのは、数年前の妻の一言だった。
アメリカ出身の48歳。幼い頃から本に夢中で、特にホラーが好きだった。山口に降り立ったのは、26歳の時だ。ドイツで学んでいた時、友人から日本で英語を教える仕事を紹介された。
その後、翻訳された文章が正しいかチェックする仕事に就いた。日本語も上達していた。次第に自分で訳せると思い始めた。覚悟を決めて自営業に。山口の日本酒が世界進出に力を入れているニュースを見ると、日本酒の勉強をして、酒蔵のサイトを翻訳する仕事も得た。「知らないことがあるのが、すごく嫌。好奇心が強くて、知らないまま放っておけないんです」
文芸作品の翻訳は憧れだった。挑戦したいと思ったら、やらないと気が済まない。ある日、出版社が朝松健さんの「邪神帝国」の訳者を探しているという情報を目にして、手を挙げた。
もっとやりたいと、続けてもう1作訳すと、今度は翻訳家として、自分が面白いと思った本を海外に売り込みたくなった。海外の出版社に、連絡を始めた。唯一、他の作品を訳さないかと返事をくれたのが、イギリスの出版社、プーシキン・ヴァーティゴだった。
横溝正史「悪魔が来(きた)りて笛を吹く」を訳し終わった時、編集長から尋ねられた。「面白い本があったら、教えてください」と。
提案したのが、雨穴さんの作品だった。
きっかけは「この動画、あなたは絶対好きだよ」という妻の言葉だった。雨穴さんのユーチューブチャンネルを教えてもらった。
ミステリー仕立ての動画が気に入った。小説にもなっていると知り、本を手に取った。「変な絵」を読んだ時に、直感した。「前作『変な家』とも違う。誰でも読める面白さの中に、深い奥行きがあった」
作品の要素をすべて絞り出すように、繰り返し読み込んだ。「翻訳は、作品の良さを芯まで理解しないといけない」からだ。
「ずっと読書が好きだった。好きな作品を、仕事で翻訳できるなんて夢みたいな話です」。ダガー賞の候補入りという想像していなかったうれしい知らせも飛び込んだが、「勉強は永遠に続きます」。新しい本と向き合う度に翻訳の腕は磨かれる。好奇心は、まだまだ尽きない。(堀越理菜)=朝日新聞2026年6月24日掲載