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林芙美子文学賞・山本莉会さん「戦争反対」まっすぐ言えない小4を救った芥川「社会が取りこぼす1匹のために」

山本莉会さん=撮影・武藤奈緒美

「トロッコ」と一緒に闇を走る 

 山本莉会さんの最初に話した言葉は中国語だった。

「中国残留婦人だった祖母と中国人の祖父の間に生まれ、中国で育ったのが母。その母が来日し、日本人の父と出会って生まれたのが私です。幼い頃は父の仕事の関係で日本と中国を行ったり来たり。日本語を身につけるため、母とよく図書館に行き、本と出会いました。私にとって言葉は家族を助けるアイテム。私がアイテムをいっぱい身につけたら母を助けられる、と思っていました」

 小説家になりたいとはっきり思ったのは、小学4年生のとき。学校の図書室で手に取った芥川龍之介の「トロッコ」がきっかけだった。

「そこにあったのはアイテムとしての言葉ではなく、私の誰にも言えない内面を救ってくれる言葉でした。

 学校で『戦争反対』って習いますよね。あの平和学習の時間が苦しかった。もちろん私も戦争は反対なんだけれど、一方で自分は戦争がなければ生まれなかった命。祖母は南満州鉄道の社員として中国に渡り、そこで敗戦を迎え、みんなを帰国させるために最後まで現地に残って働かなければいけなかった。ソ連兵が隣の村まで迫ってきたのを命からがら逃げ、祖父と出会い、母が生まれて、私がいる。中国では、家族を日本兵に殺された人たちがたくさんいました。加害の歴史から生まれた私が戦争反対と言っていいのか。自分の中にめっちゃ汚い自分がいる。人に見られたら嫌われちゃう。そんな焦燥感を抱えていたんです。
『トロッコ』を読んだとき、闇の中を走っているのは自分だけじゃないんだ、と思いました。『塵労に憑かれた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細々と一すじ断続している。』というラストの一文に、この気持ちを抱えたまま、みんなも大人になっているんだと。
 本に囲まれているわけではない家庭に育って『トロッコ』を手に取れたのは、芥川龍之介が有名小説家だったから。芥川が学校の図書室に絶対1冊は置いてあるっていう作家じゃなかったら読めなかったし、一生しんどさを抱えたまま、それを他人にぶつけ、傷つけて生きていたかもしれない。だから、おこがましいんですけど、芥川のような広く読まれる小説家になろうと決意しました」

自室の本棚。「受賞作を書くにあたって読み返したのは、ハンナ・アーレントやギュスターヴ・ル・ボンの『群集心理』、幸田文の『崩れ』など。100インプットしてやっと1アウトプットできるタイプで、読まないと書けないんです」=写真:武藤奈緒美

編プロで満足し、忘れた夢

 そこから純文学にどっぷりハマった。けれど中高時代は周りに小説を読んでいることを自ら話すことはなかったそう。

「言ってもわかってもらえないと思ったし、小説愛を語ると同時に自分の汚い部分も見せることになる。それに、友だちと恋バナするのも心から楽しかったんです。周りからはリア充だと思われていたと思います」

 リア充な自分と小説で救われる自分、乖離がつらくなかったですか。

「むしろ、その両方がないと自分を保てなかった。ただ、今はやまなし文学賞を受賞した杉森仁香さんなど小説家の友だちができてすごく楽しいです。こんな話をしてわかってもらえるんだ、って」

 大学は近畿大学の創作評論ゼミに進んだ。

「江南亜美子先生のゼミの卒論は、自分の書いた小説に自分で評論を付けるというもので、それがすごく勉強になりました。でも、大学時代で応募したのは4回生のときに記念受験的に出した一回のみ。これが受賞したらむしろムカつくっていうくらいダメな仕上がりだったので、結果も見ていません」

 文章力をつけようと、コピーライティング部門への配属を狙い広告会社に就職したものの、数年で部門が消滅し、東京の編集プロダクションへ転職。同僚にはのちに文芸評論家となる宮崎智之さんや、小説家となるカツセマサヒコさんがいた。

「社員5人くらいの小さな編プロで、給料も広告会社のときから10万も下がったんですけど、すごく自由な会社でコラムやエッセイなども書かせてもらえ、それで満足しちゃって小説は読む専門になりました。今でもそこで働いています。とうとう現代表より古株になってしまいました」

 結婚し、出産し、子どもたちが子ども部屋で寝てくれるようになったのが4年前。

「子育ての手が離れた瞬間に『あれ、なんで私東京来たんだっけ?』て思い出したんです。汚い自分を抱えたまま小説家になる、その気持ちが全然消えてなかったことに気づいて、もう逃げんのやめようと思いました」

 そこから年3~4作のペースで純文学の賞に応募するようになった。

「22歳の時は下手さに絶望してたのに、商業ライターとして10数年も働いているうちにしっかり筋トレできていたみたい。はじめの2作は箸にも棒にもでしたが、3作目以降から群像新人文学賞やすばる文学賞の3次選考まで進むようになりました」

 具体的に、編プロのどんな仕事が文章力アップにつながったんですか。

「以前は思い描いたとおりに書けなくても、読者が読み取ってくれるだろう、という甘えがあったのですが、仕事として文章を書くうちに、自分の文章に責任を持つようになりました。あと、純粋に語彙も増えたと思います」

 編プロでフルタイムで働きながら子育ても。いつ書いていたんですか。

「家族は21時にそれぞれの寝室へ行くので、そこから3時までこの部屋にこもって書いています。本当に良くないのですが書き始めるのはいつもギリギリで締め切りの5日前。21時~3時執筆を5日続けて締め切り日の23:58に原稿を送信して、ベッドに倒れこむというのがパターンです」

子どもの寝かしつけを卒業したタイミングで仕事部屋にシングルベッドを置き、夜はすべて自分時間に。「本棚がサイドテーブルにもなっていて、ゲラチェックするときすごく便利なんです」。今も4人家族ぎゅうぎゅう詰めで寝ている清は羨ましくて眩しくて……。(写真:武藤奈緒美)

今しか書けない、出せない小説

 2026年春、「むこうの景色は知らない」で第12回林芙美子文学賞を受賞。これまでの作品との違いは?

「じつはこの作品はある賞で落ちたものを50枚くらい削って新たに30枚くらい書き足したもの。つまり改稿して出した作品なんです。いつもは書き手の自分、編集者の自分、読み手の自分が絡まり合いながら短期集中で書いているのですが、今回は書き手の自分が書き上げたものを、編集者の自分がじっくり10日ほど改稿し、最後に読み手の自分が冷静に読んでOKを出しました。やっぱりものを作るには時間が必要ですね(苦笑)」

 林芙美子文学賞に応募しようと思った理由は。

「(林芙美子文学賞受賞者の)鈴木結生さんの書くものがおもろすぎて。大原鉄平さん、朝比奈秋さんも大好き。文学賞って相性だと思うから、ここなら気が合うんじゃないかと思いました。最終選考の連絡を受けたときは、感じ悪いですけど『でしょうね!』と思いました。そのぐらいいつも応募作には自信があるんですけど、毎回電話が鳴らなくて膝から崩れ落ちてたんです。念願の『でしょうね!』でした」

 受賞作「むこうの景色は知らない」の構想はどこから?

「主人公の正しくない感情を書きたかった。読んだときに自分の中にもあるって思えるような、人間のきれいじゃないところ。そこからスタートして、そのためにはどういうパーツが必要かを考え、スマート農業や限界集落、大毅や長谷川が出てきました」

 主人公は田舎の電力会社の送電部に勤める徳真。大阪の都心部出身で今は東京に住む山本さんとかけ離れていて驚きました。

「スマート農業は、編プロの仕事で取材して以来、気になって個人的に調べていたんです。青年団の閉鎖的な感じは岸和田がモデル。あと、私は旅先で『なんで駅からこんなに遠いのにここだけ栄えているんですか?』と気になったことをすぐ地元の人に聞く癖があって。その時教えてもらった土地の歴史だったり、地場産業だったりをつなぎ合わせて舞台を作っていきました。はじめは結婚直後の女の子が地元の布団屋に無理やり高級布団を買わせられるっていう話だったんですよ」

 全然ちがう話……!

「それを3回ぐらいプロット書き直して、ああ、ダメだ、とりあえず書こうって10枚、20枚と書いて、でもやっぱりダメで全部捨てて、それを繰り返して5回目くらいに出てきたのが徳真でした。こんなやり方だから時間なくなるんですよね……」

 書き上げたとき、いつもとちがう手ごたえはありましたか?

「いつも出すときには自信があるんですけど、この作品に関しては、小説家になりたいというより、『これを今文芸誌に載せたい』という気持ちの方が強かった。農業のIOT(モノのインターネット)化って数年後には浸透して〈むこうの景色〉ではなくなっていると思うんですよね。そういう意味で、今しか書けないものになっていたのかも」

改稿メモ。よく見ると「書きたい」という文字が=写真:武藤奈緒美

 今作は先住者対移住者の話とも取れ、22歳の時に書いた小説も移民文学だったそう。いつかおばあさん、お母さんのことを書きたいという気持ちはありますか。

「まだその力量はないと思います。編集者の私が『まだやめとき』と言い、読み手の私が『なにがおもろいん?』って言ってます。書くならきちんと現地に取材に行きたい。祖母はもう亡くなって話は聞けませんし、祖母の伝記を書きたいわけでもない。みんなが自分のための一冊だと思えるような切り口を見つけたいです。それにはもっと腕を磨かないと」

 受賞の言葉には「九十九匹を救っても、決して救えない一匹は必ず生まれる。だから私は文学をやり続けています」とありました。

「これは福田恒存の評論『一匹と九十九匹と』が元になっています。政治というのは99匹を救うものであって、救えない1匹がどうしても生まれる。その1匹を救うのが文学である、というもの。政治で救えなかった1匹というのが、うちのおばあちゃんであり私だと思うんです。そして事象を変えたら、みんなもなんらかの、政治じゃ救えない1匹であると思う。私の本がいつか誰かにとっての『トロッコ』になれたら幸せです」

 

〈取材後記〉最大のライバル現る……!

 取材を終えた帰り道、カメラマンの武藤さんに心配された。
「きよちゃん、元気ないけど大丈夫?」
 バレたか……。この連載でこれほどの敗北感を味わったことはなかった。今までは言い訳できたのだ。「だって私は仕事しながら幼児と小学生を育てているんだし」って。ところが山本さんもまた同じくらいの年齢の2児の母で、おまけに編集プロダクションでフルタイムで働いている。なんならフリーランスの私よりさらに時間に制約がある。それなのに林芙美子文学賞を井上荒野さん、角田光代さん、川上未映子さんの満場一致で受賞。ぐぬぬぬぬ。しかも山本さん、めちゃくちゃいいこと言うしさ!!
 というわけで、今回は嫉妬と焦りを必死で隠しながら行ったインタビューでした。うまく隠せていたかしら……。

 そんな器の小さすぎる一匹に響いた、山本さんの〈小説家になりたい人へのメッセージ〉を最後にどうぞ。

「新人賞ってすごいシステムだと思っています。だって受験料もなく、年齢制限もない。私は22歳の1回で諦めて15年も休んで、でもまた始めて……。応募のペースもタイミングも自由で、応募すれば絶対に受け取ってくれる。1円も払ってないのに他人が自分の小説を読んでくれるんですよ? 門はいつでも開かれています」

 

 

【次回予告】次回は第42回太宰治賞を「タロー・ジ・エンド」で受賞したこがわゆうじろうさんが登場予定。