表舞台を諦めた顔のしるし
――初のエッセイ集となりました。執筆のきっかけは?
2017年に初めての子が生まれたとき、言葉がいっぱい頭に浮かんできてどうしようもなくなったんです。そうした言葉を繋げて短編小説や詩にしたのですが、それがどんどん溜まっていって。古くからの友人である作家の川上未映子さんに見て頂きましたら、新潮社さんを紹介してくださいました。それで編集者の方と話していくうちにエッセイという形式にたどり着きました。
――なぜお子さんの誕生がきっかけに?
僕はその時51歳で、この子が20歳になるころには70代か……と未来を考えたときに、突然、目の前に僕の過去が、歴史が見えてきたんです。僕の歴史だけでなく、父や母、さらにそれ以前の歴史のようなものも、わらわらと見えてきました。これはおそらく、僕自身の内部に表に出してあげないといけない何かが「灰」のように積もっているのだ、と感じました。しかしその「灰」はもはや燃え尽き、痕跡ですらないし、「灰」自体は自分が何ものであったのかも語らない。自分が何ものであったのかを隠しているという事実において、「灰」は確かに存在していたはずで……。ややこしいんですが、詩や短編小説を突然作り始めたのは、子どもが生まれたことをきっかけに、まるで、ふいごで息を吹きこむような感じで、その霊のような砂塵のような「灰」が外へと噴き出していったのだと思います。今では、表現とはこのような「灰」の内部・外部の移動や運動そのものではないかと感じています。記憶と記憶が合わさり、言葉(演技)が出る。その出た言葉がまた記憶を呼び覚ます……やっぱり、ややこしいですね(笑)。
――髙嶋さんが元々は映画監督志望だったというのは驚きでした。
生まれつき、頬に大きなほくろがあったんです。電車に乗っていると指をさされたり、からかわれることもあって、両親のように表に出る仕事は無理だな、って。そう思っていた小学3年生のときにスティーブン・スピルバーグ監督の「ジョーズ」を観て感激したんです。それまでの映画監督と言えばスーツをビシッと着こなした大人というイメージがあったのですが、スピルバーグの写真はTシャツとジーンズ姿ばかり。「ぼくらの時代の監督だ!」と思えて、憧れるようになりました。
髙嶋政伸でなくなる快感
――ところが自主映画製作で借金を抱え、父・高島忠夫さんが借金を肩代わりする条件として出したのが役者になること。最初は仕方なくだったものが、生涯の仕事となったのはなぜですか。
1985年に、劇団東芸という小劇場でほくろをドーランで隠し、初舞台を踏みました。演出家は役者の気持ちも分かったほうが良いと考えていた時に、たまたま、この名小劇団を見つけ、入ることができました。劇団東芸は東芸劇場という50席の芝居小屋を持っていたのですが、僕らの期の公演では、お客さんは常に10人ほど。大きな会場を満席にする両親のディナーショーとは大違いでした。でもだからこそ新しい何かを感じ、異様な興奮を感じました。父は初舞台を観に来てくれ、こいつは映画監督の才能はないが、役者としては何か引っかかるものがある、と思っていたようです。だから、僕の自主映画での借金280万を肩代わりする条件に「役者になれ」と。自分の情けなさを痛感しました。その後、手術でほくろを取り、父と兄の付き人として役者人生をスタートしました。
『純ちゃんの応援歌』(NHK連続テレビ小説)でデビューしたときは、気負いもなくビギナーズラックでうまくいきました。でもその次の作品から「こんにちは」というセリフすら出てこなくなった。役作りの壁にぶち当たりました。
――どう乗り越えたんですか。
ドラマ「HOTEL」に出られたことが大きいですね。営業中の本物のホテルで撮影し、従業員の方の仮眠室で寝させて頂き、従業員食堂で朝昼晩食べて……と本当のホテルマンと同じ生活をさせて頂くことで役に入れました。演じれば演じるほど面白さがわかってきて。原作者の石ノ森章太郎先生が「この作品の主役はホテルなんだ」とおっしゃったのが心に残っています。「ホテル」という社会の縮図の歯車のひとつとなって、自分を没入させていく。僕が僕でなくなる瞬間がすごく快感でした。それは今も変わりません。
――以降は役者一筋に?
もう一つ自分の軸がほしいと、26歳のとき(1995年)に「リーディングセッション」という朗読集団を立ち上げました。自分が惚れこんだ本を自分がご一緒したい方と、やりたいようにやる。そんな考えで始めて、5年後には山田五十鈴先生や市村正親さんとご一緒でき、その次のチェーホフ『桜の園』では三橋達也さんもご参加くださいました。今、思い出しても信じられません。また、観客の若い作家が「これを読んでください」と持ち込んできたりすることもよくあります。「プロフェッショナル」の役者業と並行して行うリーディングセッションは、大いなる「アマチュアリズム」を考える実験の場として今も機能しています。
手を抜く役者は一人もいない
――本書では父・高島忠夫さん、母・寿美花代さんの明るくあっけらかんとしたエピソードが続きますが、「夢であいましょう」というエッセイで、政伸さん自身は性悪説で超悲観論者とあり、意外でした。
父も母も芸では到底かなわないのですが、母は僕がドラマに出ていると「あーちゃん(僕のこと)がいちばん良かった」っていつも言うんですよ。けれど自分ではダメだったことがわかっている。だからほめ言葉を疑う癖がついちゃって。
「『らしく』見せる人生」で朝ドラ「ちむどんどん」でイタリアンのシェフ役をしたときのことを書きましたが、入念な役作りをするのも失敗前提だからなんです。たとえば、今回の役は白だと思って現場に行って、演出家に黒でって言われてうまくできなかったら自分の責任。それが全国に放送される。そうならないように、白もあるし、黒もあるし、紫も黄色もグリーンもあるっていうのを想定して稽古します。
――そこまで努力して演じ切れたときは快感でしょうね。
ところが、自分が最高だったと思ったシーンがカットになるときもある。でも積み重ねた稽古はムダにはならないし、手を抜かなかった自分を許してやろうよ、と言い聞かせています。
――いつも全力を出していると、ここまででいいや、と手を抜く人を見てがっかりすることはないですか?
僕が知るなかで、そういう役者さんは一人もいません。それに役作りって時間をかけりゃいいってもんじゃない。僕は時間が必要なタイプですが、短期集中で本番にかけるタイプの方もいて、その時の集中力はものすごいですよ。
インティマシーコーディネーターが委縮しない現場に
――2023年のNHKドラマ「大奥」での経験を振り返ったエッセイ「インティマシーコーディネーター」はwebで公開され、大きな反響を呼び、「ベスト・エッセイ2025」にも選出されました。
「インティマシーコーディネーター」とは、映画やドラマ、演劇の現場で性的なシーンや暴力的なシーンを演じる俳優の身体と心の尊厳を守りつつ、監督の求める描写も尊重し、現場を円滑に進めるサポートをする方たちのこと。僕の知る限りでは、アメリカでは1960年代からあり、2020年に日本で導入されたのを知り、とても安心しました。それまで、僕に襲われる設定の女優さんと現場で会った時、その方が怯えていると感じることが多々あったからです。その状態の方を演技でさらに怯えさせるというのはかなりキツい。それと、いざカメラが回ると役者は抑えが効かず、僕も勢い余ってガラスを割ってしまったこともありました。「大奥」でオファーされたのは、実の娘に対して幼いころから性的暴行を繰り返す父親役。「インティマシーコーディネーターさんを入れてくださるならお引き受けします」と言ったところ、「そのつもりです」とお返事いただき、アメリカで学ばれたインティマシーコーディネーターの浅田智穂さんが入ってくださいました。
――このエッセイの無料公開は髙嶋さんの希望だったそうですね。
浅田さんと初めてお話ししたときに、僕に対して委縮、というか、壁のようなものがあるのを感じたんです。「もしかして現場で煙たがられた経験がありますか」と聞いたら「あります」とおっしゃって。これはいけないと、思いました。それで、この「大奥」の経験を何かに書き残しておかなければならないと、現場でのやりとりをエッセイに時系列で書きました。
浅田さんの素晴らしいお仕事ぶりはエッセイに詳しく書きましたが、いてくださって、本当によかったと思いました。その後も、リーディングセッションでホラー作品をやるにあたり、浅田さんに入っていただきました。観客を15歳未満入場禁止のR15+に設定し、あらかじめ過激な場面があることを観客に伝えるトリガー・ウォーニングを入れたり、気分が悪くなったらいつでも出入りして頂けるようにする。あるいは女優さんが涙を流すシーンでは気持ちがおちつくまでの間を作る、観客と目が合わないように目線の先に黒いシールを貼っておくなど、多くの貴重なアドバイスをいただき、役者と観客の安心安全を担保しながらこの公演を乗り切れたと感じました。人間の尊厳を何より優先して人と人をつなぎ、調整し、進行中に発生した問題に対し解決策を提示し、プロジェクトが滞らないようにコントロールしてくださる、このお仕事の大切さを多くの人に知ってほしいと無料公開をお願いしました。
――本書ではこのエッセイの英訳文も収録されています。
web公開時、イギリスやアメリカに住む友だちからも反響があったので、英語でも読めるようにしたらどうだろうか、と思いました。英訳を進めるなかで分かったのは、まず欧米ではインティマシーシーンに対する問題意識、嫌悪感が想像以上に高いこと、特に幼い娘に性的暴行する父、なんていうシーンがあること自体がクレイジー。しかも、その加害者を演じた役者が書いたエッセイも「いや、(オファーを)受けたのはお前だろ、嫌なら受けるな」となります。もちろん「大奥」も「髙嶋政伸」も知らない方が読むわけですから、言葉選びは相当慎重になりました。それが欧米と日本の意識の違いをリアルに知ることにもつながり、とても勉強になりました。
――この本の後書きに、悲観論者で性悪説であった自分の本質がヒューマニストであることに気づいた、とありました。ここまでのお話を伺って、ご自身の仕事もこの業界も周りの人々も、深く愛していらっしゃるのだと感じます。
子どもができたことにより、自分の中の優先順位が変わったことが大きいと思います。若い俳優さんとよく勉強会をするんですが、自分が知っていること、先輩方に教えてもらったことをバトンタッチしていきたいと思うようになりました。今では主役と絡む役を演じる場合も、どうやったら主役の方がやりやすくなるのかな、と考えます。でもこれには、いやらしい計算もあるんですよ。主役が光ると脇も光る。結局、自分のためにもなっているんです(笑)。