- qntm『反ミーム部門は存在しない』(鳴庭真人訳、ハヤカワ文庫SF)
- 矢野アロウ『マイボディ・オン・ザ・ムーン』(上・下、早川書房)
- 円城塔『土人形と動死体』(早川書房)
一つの問いからはじめよう。記憶できないものを、あなたならどう記憶するか。
qntm(クォンタム)『反ミーム部門は存在しない』における「反ミーム」とは情報の伝播(でんぱ)を自ら妨げる性質をもつアイデアや存在であり、反ミームのなかには、見えても触れても、それが何であるかを覚えていられず、残した記録さえ読み取れなくするものがある。マリー・クインが率いる秘密部門は、記憶にも記録にも定着しない敵との戦いを続ける。認識されないこと、それ自体が敵の最強の武器であるなら、そこでは、記録や薬剤、訓練など、認識をつなぎ直すあらゆる手段が抵抗となる。
矢野アロウ『マイボディ・オン・ザ・ムーン』の物語は、月の裏側で発見された数十体の首なし死体を起点に動き、脳を欠いた身体を前に、意識はどこに宿るのか、身体が変わっても私は私のままでいられるのかという問いが立ち上がる。中国のスパイ、タイの脳科学者、IT黎明(れいめい)期の実業家、VTuberを夢見る車椅子の少女ミントの人生が入り乱れながら、問いは身体と意識、自己の連続性へと束ねられていく。我々は何をもって、一つの意識を、一人の人間のものとして認めるのか――。ところで本作は上下で1000ページを超える大作で、大作というのは全貌(ぜんぼう)を仔細(しさい)に記憶できる人間が存在しえないという意味で、それそのものが、記憶と認識への問いを孕(はら)んでいるように思われてならないのだが、どうだろうか?
円城塔『土人形と動死体』では、大魔術師ノーシュ・アレグラは魔法を使えない弟子エスノダのために、世界中の魔術を消し去ると宣言し、地下迷宮に閉じこもる。土人形は身体を持つが魂を持たず、動死体は動いているが死んでいる。スケルトンは骨と筋肉の動力を、スライムは神経系を構成し、ゴーストは魂を記憶装置として技術利用され、竜の命名をめぐって意識の所在が問い直され、世界は無限の広さをもつ平面が折りたたまれた球体として再発見される。これは一体なんなのか? 生の境界線上に立つ存在たちが、彼らの環世界で生に似た何かを繰り広げ、最終的にはあなたもわたしも、わからなくなる。
認識の外側には何かがある。だがそれが何であるかを説明しようとすると、何もかもがするりと言葉から逃げてゆく。そういう意味では、書評とは奇妙な体験だ。本を読んでいるときには確かにあったはずのものが、他者に向けて語ろうとするなかで、その手触りを失ってゆく。だからここにある記述は、確かな一つの記憶だが、記憶していたはずのものとは異なる、反ミームであり、首なし死体であり、土人形と動死体のようでもある、わずかにずれた異形の何かなのだ。=朝日新聞2026年7月22日掲載