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必要なこと 柴崎友香

 先日、トークイベントでお客さんから「他の人の本も読むんですか?」と質問があった。普段はイベントは書店で、自分の本を読んでくださっている人が観客なのだが、このときは商業施設の一角で、買いもの中の人が気軽に立ち寄れる場所だったのもあると思う。もちろん読みますよ。読むのが好きだから作家になったし、書く時間の何倍も読まないと書けません。と答えると、他のお客さんからも、意外だという声が上がった。人の影響を受けたくないのかと思っていたし、イメージが降りてくるなんて言い方があるから作家という人は話が出てきて困るほど思いつくのかと思っていた、と。
 そうだったら、いいのだけど。でも、もしそうだとしても、本は読む。読みたい本は次々に現れて、作家になってからは本を買うお金だけは惜しまないようにしているので「積ん読」本で部屋が大変なことになっている。毎日この山となっている本を読むだけで過ごせたらいいのに、と思う。作家を職業にしたときの矛盾の一つは、ありがたいことに仕事が増えると、本を読む時間が減ってしまうことだ。作家同士でも、ときどきそのことを話す。特に年齢が近い人とは、仕事を少しセーブしてでも読む時間を確保しないと、と肯き合った。本を読むにも体力がいるし、この先どれだけ読めるだろうと、そろそろ考え始めるからだ。
 たぶん自分が書く量の、何百倍くらい読んでやっと書けるのだと思う。資料としてとか書き方を学ぶとかもないわけではないが、とにかく読んでおもしろいと思う気持ち、いや、それよりも前にただひたすら小説や様々な文章に接して向き合うことが、一行を書くために必要なことなのだ。高校で美術の時間に先生が「見て見て見て見て……、ちょっと描いて、また見て見て、十見て、一描け。それでも描きすぎなぐらいや」と言った。二十五年経っても、それを何度も思い出す。だから今年の抱負は、本を読む時間を増やすことです。=朝日新聞2018年1月15日掲載