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「若さ」を軸に解いた 社会と文学 三浦雅士「青春の終焉」

写真・篠田英美

 ずいぶん昔に書いたように感じられる不思議な本です。「青春」や「青年」という概念に注目すれば社会や文学をこれまでと違うように捉え直すことができる。そのアイデア自体は若い頃からずっと持っていたし、周囲にもよく話していた。だからそう感じるのかもしれません。
 「青春」はいつの時代にでもあったのではなく、産業資本主義と同時に生まれた。英国でシェークスピアが書いたときには意識されていなかったのが、18世紀ドイツのゲーテやシラーが「ハムレット」の影響を受けたときにはそれは青春の文学になっていた。ルソーの影響下に革命前夜のフランスで青春賛歌が起こり、産業革命の伝播(でんぱ)とともに青春、そして革命という考え方が広がってゆく。19世紀ロシアのデカブリストの乱も、日本の明治維新もそうです。20世紀には中国をも席巻する。近代とは「若さ」が特権化していく時代でした。
 こうした「青春」の世界的な席巻を背景に、日本近代文学史の見直しを試みた。具体的には小林秀雄が還暦を迎えた1962年、自分の青春が終わったと記したことに注目して書き始めました。この言葉を見つけた時には驚きました。60歳の男が「青春」ですよ。それほどにこの言葉は特別な重みのある言葉だった。
 夏目漱石『三四郎』、森鷗外『青年』、さらにさかのぼると、江戸後期の滝沢馬琴『南総里見八犬伝』なども青春小説として読める。こうした「読み直し」にどういう意味があるのか。そこにはいささか私の個人史的なこともかかわります。

デジタル化の今 問われる生き方の指針

 18歳の時、生まれ育った青森を離れ、東京に来ました。中学時代から人生の根拠のなさに悩み、一方で当時席巻していたマルクス主義をどう考え、どう乗り越えるかという問いに直面していた。大学という場の権力性に違和感を持っていたので大学に行こうとは思いませんでした。全共闘運動が盛り上がりますが、彼らの「大学改革」や「大学解体」というスローガンに対しては、「だったら全員やめればいい」と思っていた。甘えを感じたんです。その後、雑誌「ユリイカ」や「現代思想」の編集にかかわっていきます。
 その中で先日亡くなった詩人の大岡信や思想家の吉本隆明、作家の澁澤龍彦らと親しくなった。小林秀雄をはじめとした日本の批評を読み、マルクス主義を乗り越えようとするフランス現代思想などを読んでいった。
 「青春」という個人の切実な体験に注目することに大きな影響を与えたのが、大岡さんでした。初めてお目にかかった直後に、僕に左翼的なところがあると思ったのでしょう、「左翼って不人情なんだよな」と言いました。文学とは人情を書くものですから、左翼と文学は矛盾すると言っているようなもの。僕は当時、強くアナーキズムにひかれていましたが、大岡さんが言うことはよくわかる。それに対する僕なりの答えを、文芸評論家として書いたことになると思います。
 学生と青年が重なるのは産業社会においてです。近代文学を読めばすぐわかりますが、「青春」には特別な重みがあった。ところが、70年代に入ってそれが失われていく。いわゆる消費資本主義の登場によって「青年」が「若者」に置き換わってゆく。生産に代わって消費が美徳になった。若さは誰もが消費できる表象になります。当時の若者をひきつけた村上龍と村上春樹がわかりやすい。龍は破壊によって、春樹は回想によってしか青春を表現できない。それはかつての青春の終焉(しゅうえん)でした。同時に教養の終焉が起こります。教養はよりフラットな「知」に変わっていった。
 こうした「終焉」の後、今何が起きているのか。決定的なのはインターネットの発達が可能にしたデジタル化です。教養が知に置き換わり、さらに情報に置き換わる。情報社会論は盛んですが、こうした環境を当たり前のものとして育った新しい世代が、これからどうなってゆくか、誰も予測できていない。
 「終焉」のアイデアを作品にできると確信したのは80年代半ばに米国に滞在したときでしたが、実際に書いたのは2000~01年です。ある「時代」を書けるようになるには時間が必要です。「終焉」後の世界もそう。明確なのは、ネット社会がいままでの時空を変えているということ。例えば、ある友人の口癖が「年齢同一性障害」なのですが、もはや年齢が生き方の指針にならなくなっている。新しい生き方の指針が問われていることを自覚すべき時期だと思います。(聞き手・高久潤)=朝日新聞2017年7月26日掲載