大澤真幸が読む
『社会契約論』は、フランス革命の指導者たちにも影響を与えた、近代政治思想の基礎となる書物である。ルソーによると「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鉄鎖につながれている」。鉄鎖とは、政治権力による拘束のことだ。ここから、どうしたら自由と権力を両立させることができるのか、どのような権力であれば自由を抑圧したことにならないのか、という問いが提起される。
まず、人々の自由な意志によって政府の設立が合意されなくてはならない。これが社会契約だ。政治社会、つまり国家を生み出すこの契約は、全員一致の合意によるというところが肝心。ルソーには、こうした合意が可能だという確信がある。
設立された政府は法に基づいて活動する。法が、人民自身が制定したものであれば、つまり人民の「一般意志」の表現であれば、人民は結局、自分で自分を規制しているのだから、自由が侵されたことにならない。
問題は、何が一般意志かである。ルソーは、一般意志は、それぞれの個人の利益に関わる特殊意志を足し合わせた「全体の意志」とは違う、と強調する。他方で、多数決で決められる法は一般意志と合致しているとも言う。何だか矛盾しているように聞こえるが、そうではない。
いくつかの条件が満たされていれば、一般意志(≠全体の意志)を多数決で見つけることができる。原発の存廃をめぐる国民投票という例で説明しよう。
第一に、一般意志には客観的な「正解」がなければならない。「日本は原発をもつべきか」に正しい答えがある、という前提が必要。だから第二に、人は、原発があった方が自分にとって得か損かではなく、どちらが正解か、つまり日本にとって何がよいのかという観点で投票しなくてはならない。第三に、人々が賢明で、正解率は五割を超えていなくてはならない。
政治家やマスコミは簡単に「国民の意志」を語る。しかし、それが真の一般意志であるための条件は厳しい=朝日新聞2017年8月20日掲載