西部邁氏の膨大な著作は四分野に大別できる。(1)『ソシオ・エコノミックス』(1975年)で開拓した社会経済学、(2)『知性の構造』(96年)に収斂(しゅうれん)した記号論、(3)大衆社会批判と保守主義論、(4)『妻と僕』(2008年)に代表される自伝である。
『経済倫理学序説』はJ・M・ケインズおよびT・ヴェブレンという英米の二大経済学者を題材にし(1)に属するが、社会に呼びかけ自分を語るなど評論家として船出する端緒となった作品である。主流派経済学も「マクロ経済学」や「みせびらかしの消費」といった視点で両者を取り入れているものの、実物市場の均衡と金融市場の均衡が共存しうるという信念(市場の安定性)を手放さない。対照的にケインズは、投機が金融市場を崩壊させると企業の投資・製造活動が停滞する点を強調したし、ヴェブレンも、産業がものづくりによって得た利益は株主の営利欲に略奪される必然性を説いた。西部氏は、二人が経済学が産業社会の「護教論(イデオロギー)」であることを暴いたと理解する。
保守主義の道
二人が成し遂げなかったのは経済学の解体である。西部氏はそう解釈し、ケインズにおける投機と企業の対立を慣習と市場の矛盾に置き換える。不確実な市場の未来に脅(おび)えないためには安定的な慣習に頼るべきだが、それは他方で価格を硬直させ、市場を不均衡にしてしまう。
一方、ヴェブレンは産業に対する営利の略奪を、象徴の体系である制度の進展が人間の生得的な本能を圧倒する過程として描いた。ただし彼の象徴分析は先駆的過ぎて、後の記号論の水準を取り込めなかった。以上の判断から西部氏は保守主義に歩を進め、象徴の解釈学〈記号論=(2)〉に着手するのである。
「反米自立」を
『大衆への反逆』は(3)の代表作にして西部氏をマスコミにおける著名人として世に送り出した評論集。ここで保守主義は、不安定を直視せず安定にすがる後ろ向きの立場ではなく、慣習と市場の関係のように矛盾に満ちた社会を綱渡りするための平衡棒(知恵)であるとされる(この保守主義宣言は、以降四半世紀にわたって出版し続ける保守派時評誌「発言者」「表現者」の綱領ともなる)。
本書が衝撃をもって迎えられたのは、進歩的文化人だけが知的であるかに振る舞ってきた戦後の論壇において、最新のポストモダンなる意匠を胡散臭(うさんくさ)く感じつつも右翼的反知性主義に後退できない知的読書人に対し、保守主義が論理的であり選択肢たりうることを示したがゆえであった。
サルトル、パーソンズ、林達夫らと差し向かいで対話するかのようなエッセイも思想として当時の最先端にあることを印象づけたが、白眉(はくび)は社会科学の各分野の連関を記号の分化過程としてとらえ、日本・アメリカ・ロシア・西欧各文明の複雑な異同を平易な言葉で描き出す論文「文明比較の構造」。ここから反米自立の立場が生まれる。
『保守の真髄(しんずい)』は(1)~(4)を全40節にまとめた遺著。日本・ヴェトナム・イラクとの戦争で証されたのはアメリカが最も侵略的な国ということであった。なかでも日本は軍事力で産業社会と民主主義を移植され、「単純化されたマスマン(注・砂粒のようにバラバラな大量人)」に染め上げられた。核知識が消去できず周囲を核武装国に囲まれたからには日本は核武装も考慮せよ、等々(などなど)ロジカルかつラディカルな反米自立の呼びかけが並ぶ。
「死の覚悟」の宣言に始まる本書刊行の直後、西部氏は自決した。私が氏から「思考実験としての自殺」について聞かされてから、30年以上が経過した。論理的かつ根源的たらんとした文筆活動が死に方にも直結した日本人は、近代では稀(まれ)である=朝日新聞2018年2月25日掲載