あるかしら書店 [著]ヨシタケシンスケ
不思議な書店を訪れたお客さんの「こんなのってあるかしら?」の求めに応じて、本にまつわるあれこれが飛び出す。
たとえば、月の光に反応して文字が浮き出る「月光本」。「バタ足入門の本」は読んだ後で本がそのままビート板になり、読書の秋に本を実らす「作家の木」は10年に一度の傑作ミステリができることもあれば、他の木を褒めるとスネて実をつけなくなることも……。世界のどこかにあるかもしれない「水中図書館」や、本好きカップルによる「書店婚」など、本に関するイベントや道具、名所や仕事が紹介される。豊かな発想はまるで私たちへの提案のようだ。
「お墓の中の本棚」は、一年に一度のお墓参りにだけ墓石の中の本棚が開き、故人の思い出が詰まった本を、どれでも一冊、持って帰っていい。そして、家から持ってきた「天国のあの人に読んでもらいたい」一冊を代わりにおいていく。そこにあるのは、「本を読むのは楽しい」というお互いの思いが通じ合っている、という確かな信頼だ。
今年の春、朝日新聞紙上で、ある大学生からの「読書はしないといけないの?」という投書をきっかけに「読書」に対してさまざまな意見が出された。いろんな反響があったようだけれど、私は、本は絶対に読んだ方がいいと思う。その理由が、この本の中の「本のようなもの」というページに書いてある。「ぼくたちは本のようなものだ」という一文から始まる文章は、シンプルだけど力強く、どうして私たちが本を好きなのかを教えてくれる。この思いに共感できるようになる、というだけでも本を読むことには十分な価値がある。読書が苦手な子供にも、あの時この投書に明確な答えを返せなかった大人にも、その両方に読んでほしい。
読書は義務でも、一部の「頭のいい人」のものでもない。では、本を読むって何なのか? その本質に迫る、笑って唸(うな)って、時々ほろっと涙する、“誰にでも読める”名著である。
辻村深月(作家)
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ポプラ社・1296円=6刷14万部 17年6月刊行。小学生から大人まで、本好き、書店好きが手に取っている。「長く大切にしたい」「何度も読んでいる」という声が届くそう。=朝日新聞2017年9月3日掲載