前登志夫「いのちなりけり吉野晩祷」書評 自然と対峙した歌人
評者: 佐伯一麦
/ 朝⽇新聞掲載:2018年03月25日
いのちなりけり吉野晩禱
著者:前 登志夫
出版社:河出書房新社
ジャンル:小説・文学
ISBN: 9784309026480
発売⽇: 2018/01/23
サイズ: 20cm/238p
いのちなりけり吉野晩祷 [著]前登志夫
役行者が開基と伝えられる吉野山金峰山寺蔵王堂の節分の豆撒(ま)きは、「福は内! 鬼も内!」と叫ぶ。これを著者は、亡くなる2カ月前に発表したエッセーで、〈山人の抜群のアイロニー(反語)ではないか。山人みずからの鬼とつねにきびしく対峙(たいじ)している気迫である〉と解した。
前登志夫自身が、「自然の中に人間を樹(た)てる」ことを生涯のテーマとした生えぬきの山人であり、自然諷詠(ふうえい)ではなく、樹木や岩にいのちの根源を見いだすべく自然と対峙した歌人であることを思えば、自解の言葉ともとれる。父祖以来の山住みの暮らしに定着し、木こりを自称したが、若い日には、今日の引きこもりに近い状態にもなった。
折しも、これから桜の時季を迎える。著者の没後十年を記念して世に贈られた遺稿散文集を導きとして、吉野の桜を愛(め)でるもよし、遠くから思いを馳(は)せるのもよし。〈ふるくにのゆふべを匂(にお)ふ山桜わが殺(あや)めたるもののしづけさ〉