1. HOME
  2. 書評
  3. 宇野常寛「リトル・ピープルの時代」書評 小さな物語に依存「拡張現実の時代」

宇野常寛「リトル・ピープルの時代」書評 小さな物語に依存「拡張現実の時代」

評者: 斎藤環 / 朝⽇新聞掲載:2011年08月28日
リトル・ピープルの時代 著者:宇野 常寛 出版社:幻冬舎 ジャンル:社会・時事・政治・行政

ISBN: 9784344020245
発売⽇:
サイズ: 20cm/509p

リトル・ピープルの時代 [著]宇野常寛

 本書は『ゼロ年代の想像力』で華々しいデビューを飾った若手批評家の三年ぶりの書き下ろし評論集である。テーマは再び「想像力」だ。議論の構えは大きい。震災後の現状をふまえ、宇野はまず村上春樹を参照する。ビッグ・ブラザーが体現していた「大きな物語」が失効し、人々は目先の「小さな物語」に依存しようとする。
 『1Q84』で村上が描いた「リトル・ピープル」こそは、意図も顔も持たずに非人格的な悪をもたらす「システム」の象徴だ。今必要なのは、制御不能におちいった「原発」のような巨大システムに対する想像力なのだ。
 しかし宇野は、村上作品に頻出する、男性主人公の自己実現のコストを母なる女性に支払わせるというレイプ・ファンタジィ的な構造を批判する。その構造に潜むナルシシズムが、リトル・ピープルの悪を隠蔽(いんぺい)してしまうからだ。
 ここに至って、本書の中核をなす二つのテーゼが示される。
 「私たちは誰もが『小さな父(リトル・ピープル)』である」、そして「リトル・ピープルとは仮面ライダーである」と。あなたがこの唐突な断定に失笑したとしても、すでに著者の思うつぼである。なぜなら彼はこう書いている。「冗談のように聞こえない批評には何の力もない」と。
 かくして、本書の白眉(はくび)は第2章、平成仮面ライダーの分析である。かくも異様な虚構世界が子供たちの人気を博していたという事実を、あなたは知っていただろうか。たとえば『仮面ライダー電王』の主人公は、敵であるはずの四体のモンスターを自らに憑依(ひょうい)させ、四つの人格を切り替えながら敵と戦うヒーローなのだ。
 仮面ライダーの「変身」を、〈いま、ここ〉を多重化する身ぶりと読み替えた宇野は、現代を仮想現実ならぬ「拡張現実の時代」とみなす。大筋で異論はないが、しかし一点だけ。
 現実を多重化するレイヤーの中にすら、例えば「ナショナリズム」は回帰する。大きな物語は終焉(しゅうえん)せず、矮小(わいしょう)化されて反復されるだろう。宇野の奔放な想像力は、たとえば同じく文学的想像力をナショナリズムの解毒に用いるスピヴァクの『ナショナリズムと想像力』などで補完される必要があろう。
 本書のあとがきは必読だ。宇野の筆名の由来がはじめて明かされる。なぜ彼が「リトル・ピープル」にこだわるのか、その理由の一端がわかるだろう。かくも私的なモメントに根ざした言葉ゆえ、彼の言葉は信頼に値する。その深きライダー愛に敬意を表しつつ、本稿の〆(しめ)はやはり、仮面ライダー電王の「あのセリフ」の引用で。
 信じてるけどいいよね? 答えは聞いてない!
    ◇
 幻冬舎・2310円/うの・つねひろ 78年生まれ。評論家。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰、カルチャー総合誌「PLANETS」編集長。『ゼロ年代の想像力』など。