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「1Q84 BOOK3」書評 仮想化に抵抗する両義的な身体

評者: 斎藤環 / 朝⽇新聞掲載:2010年04月25日
1Q84 a novel BOOK3 10月−12月 著者:村上 春樹 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784103534259
発売⽇:
サイズ: 20cm/602p

1Q84 BOOK3 [著]村上春樹

 『1Q84 BOOK1・2』から1年、待望の続編『BOOK3』が出版された。
 すでに発行部数90万部。発売日の午前零時に店頭に行列ができる小説は、いまや『1Q84』だけだろう。批評家には賛否を呼んだが、その作品世界が人々を強く魅了していることは間違いない。
 作家自身の解説によれば、本作は「10歳で出会って離れ離れになった30歳の男女が、互いを探し求める話」だ。しかし前作で、ヒロイン「青豆」は「天吾」の命を救うため、首都高速の待避所で拳銃をくわえ引き金を引いたのではなかったか。
 第一の驚愕(きょうがく)。青豆は生きていた。しかも「妊娠」していた。処女懐胎よろしく、再会すらしていない天吾の子を。おそらくは胎児の呼び声で青豆は死を思いとどまった。この「妊娠」を小説的必然として受け入れるか、オカルト的つじつま合わせとして一蹴(いっしゅう)するか。私はあえて、前者に賭けることにした。
 第二の驚愕。「牛河」の物語が幕を開ける。カルト集団「さきがけ」の使い走りである、あの醜い中年男。本作で牛河は、おのが醜悪さを逆手にとって、その特異な才覚を鍛え上げたキャラクターへと“成長”を遂げる。
 第三の驚愕。本作において、ひさしく“低迷”していた村上春樹の比喩(ひゆ)力がみごとに“復活”している。最終章の月の描写など、これが春樹?と目を疑うほどの美文調だ。
 三つのサプライズをもたらしたのは、一つの必然性である。
 『1Q84』は、しばしばパラレルワールドと誤解されてきたが、その解釈は『BOOK2』ではっきり否定されている。それは「ポイントが切り替えられ」た結果生じた時間性であり、“正しい一九八四年”の隣にある“まがい物の時間”ではない。
 世界を仮想化・複数化するシステム≒リトル・ピープル)に抗すべく要請されたもの。それは「身体性」だ。善と悪の両義性を容(い)れる唯一の「この身体」こそが、ただひとつの「この現実」を回復しうる。そう信じられる限りにおいて、青豆の妊娠は“必然”なのだ。
 牛河の存在には、念入りに描写されるその醜さゆえに、本作中もっともリアルな身体性が与えられている。彼の両義的な身体は、天吾と青豆のふたつの世界を縫合し、奇跡的な邂逅(かいこう)へと導くだろう。
 きわめつきは「比喩」だ。かつての村上の比喩は、世界を解離させ、複数化する働きを持っていた。しかし本作における過剰な比喩は、まったく逆に作用する。多様に記述されうるがゆえに唯一であるこの世界の、「常にひとつきり」の現実を、身体感覚を通じて私たちの中に取り戻そうとするのだ。
 『BOOK3』から読み取れるのは、多世界的決定論とも言うべき作家の特異な倫理観だ。おそらくその本当の意味は、いま青豆の子宮に宿る「この小さなもの」の物語を待って、はじめて明かされるのだろう。

 〈評〉斎藤環(精神科医)
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 新潮社・1995円/むらかみ・はるき 49年生まれ。『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎賞、『ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞。カフカ賞など海外の文学賞も。本作の1・2は09年毎日出版文化賞文学・芸術部門を受賞した。