ル・クレジオ「地上の見知らぬ少年」書評 見て、感じ取って、聞くだけでいい
ISBN: 9784309205359
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サイズ: 20cm/356p
地上の見知らぬ少年 [著]J・M・G・ル・クレジオ
「言葉が奏でる音楽」、ル・クレジオの言葉を借りるなら、本書はそういった性質を持った書物ということになる。文字を持たない民族は、歌や神話を用いてコミュニケーションを創出する。それが不可能な工業化された社会において、ル・クレジオは、もう一度言葉以前の世界へと自分を導き、地上に降り立った見知らぬ少年の透徹した眼差(まなざ)しをもって、新しい世界との出会いを描き出そうとしている。
本書は1978年にフランスで刊行されたエッセーを邦訳したものである。小説ではないので筋書きはなく、唯一の登場人物である少年が一人称で何かを物語ることもない。著者は遠くから少年を見つめ、目の前の世界と初めて出会ったかのように、一つ一つの事物を丁寧に描写していく。そこにあるのは主観的な理解や獲得といった姿勢ではなく、光の鉛筆によるデッサンのような、眺めることに徹した末に湧出(ゆうしゅつ)した言葉の連なりだった。
人は歳(とし)をとるにつれて、既知のものに包まれる。数多(あまた)の情報によって多くの物事を知っているつもりになり、視界の端に何かが映っても、反応することなく見切ってしまう。しかし、子どもはそうではない。自分を飾ることなく未知の世界と出会い、その感触を確かめるようにして内に取り込んでいく。あらゆることに反応し、理解しようとする前に全身でそれを受け止める。
名もなき少年は、そうした無識の賢者としてそこにいた。世界からの問いかけに対して言語や知識や思想をもって応えるのではなく、「きらめく瞳やそばだてた耳を通して、多種多様な匂(にお)いを通して、ぴんと張りつめた全身の皮膚やありとあらゆる記憶を通して」応えることができた。
見て、感じ取って、聞くだけでいい。必要なのは媒介なしの思考、増幅された知覚であるという著者の確信は、森の中でインディオたちと暮らした経験に裏打ちされている。本書は、事物を示す記号ではなく、事物そのものを生み出す言葉によって奏でられた優れた音楽のようだ。
評・石川直樹(写真家・作家)
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鈴木雅生訳、河出書房新社・2940円/J.M.G. Le Clezio 40年生まれ。作家。2008年ノーベル文学賞。