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アガサ・クリスティーの「謎」 女性が重要な役割持つ娯楽小説 霜月蒼

作家のアガサ・クリスティー(1890~1976)=1950年、英国の自宅で 写真:Mirrorpix/アフロ

 今年、二〇二六年は〈ミステリーの女王〉として名高いアガサ・クリスティーの没後五十年にあたる。クリスティーの作家デビューは一九二〇年、日本でいえば大正九年。デビュー作は『スタイルズ荘の怪事件』、名探偵ポアロの初登場作である。

男の意に沿わぬ

 読書感想サイト〈読書メーター〉を見てみると、大正九年に書かれた『スタイルズ荘の怪事件』が、今もごくふつうに読まれ、感想がアップされ続けていることがわかる。約百冊に及ぶ邦訳書も、ごく一部を除いて、ごくふつうに書店で買えもする。

 「ごくふつうに」という言葉を敢(あ)えてくりかえしたが、クリスティーの小説は、現在もふだんづかいの娯楽として読まれ続けているのだ。ここがクリスティーのすごさであり、「謎」でもある。

 イギリスの文学者サリー・クラインの『アフター・アガサ・クリスティー 犯罪小説を書き継ぐ女性作家たち』(服部理佳訳、左右社・3630円)は、そんな「謎」を解く一つの鍵になる。

 同書でクラインは、クリスティーを女性によるミステリーの源流と見なして、女性作家にフォーカスを当てたミステリー史を描こうと試みている。多数の女性作家たちへのインタビューを積み上げて描かれてゆく新たなミステリー史はとても刺激的だが、著者は、クリスティーが一九二〇年代にすでに、『秘密機関』などの作品で男の意のままにならない女たちを活躍させていたと指摘している。

 そうなのである。クリスティーというと紅茶のカップを傾ける貴婦人や編み物に興じる老婦人を想像するが、実は、自動車を爆走させて同乗する男性をビビらせ、単身冒険に突撃してゆく女性たちの生みの親だったのだ。

結婚の「苦悩」も

 『秘密機関』はデビュー作に続く第二作だが、早速クリスティーは、突撃精神あふれる名キャラ、タペンスを生み出している。恋人トミーとともに明朗快活に冒険を繰り広げた彼女を、クリスティーは自分と同様に齢(とし)をとらせながら最晩年まで書き続けた。

 全五冊あるタペンス・シリーズでは、三冊目の『NかMか』(深町眞理子訳、ハヤカワ文庫・1144円)がいい。第二次世界大戦中、タペンスとトミーが国際スパイを相手取る快作である。ユーモアの利いた筆致が快く、スパイの正体をめぐるミステリー趣味もあれば、最後には伏線も仕込んだ大活劇に突入する贅沢(ぜいたく)さ。クリスティーはこういう小説も巧(うま)いんだ!と感心するはずだ。

 クリスティーが「男に忍従しない女性」を書いたのは、最初の結婚が不幸なかたちで終わった経験ゆえではないかとする説もある。その当否はともかく、クリスティーが多くの作品で結婚にまつわる苦悩を描いたことは確かだ。隠れた傑作『ホロー荘の殺人』(中村能三訳、ハヤカワ文庫・1100円)もその好例である。クリスティーはこの作品で、「不幸な結婚」と「自立した女性」の両方を見事に描いた。

 郊外の屋敷で起こる殺人事件をめぐるクリスティーらしいミステリー劇の中で、芸術家肌で自立したヘンリエッタと、夫に忍従するガーダという二人の女性が重要な役割を演じる。この二人にはクリスティー自身の理想や現実や体験が、きっと投影されているのだろう。読後も記憶に残り続けるという点で、クリスティー作品中でも屈指のキャラクターなのである。

 女性が重要な役割を演じる娯楽小説を書き続けたのがクリスティーという作家だった。大矢博子が快著『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社・1980円)で楽しく語っているように、ロマンス小説や家族小説としても面白い作品もたくさんある。没後五十年を経ても、彼女の小説はふつうに生きているのだ。=朝日新聞2026年1月31日掲載