作家の須賀しのぶさんが夏の高校野球の戦後の復活劇を描いた小説『夏空白花(なつぞらはっか)』(ポプラ社)を刊行した。敗戦直後の混乱した社会の中で大会の開催に奔走する朝日新聞大阪本社の記者が主人公のフィクションだが、プロ野球で活躍した沢村栄治投手ら実在の人物も登場する。今月の作家LIVEは須賀さんを東京本社に19日にお迎えし、創作の舞台裏と高校野球への熱い愛を語ってもらった
戦後の混乱からの復活劇、原点
作家LIVEは本社・読者ホールで開催。聞き手は佐々木健・社会部東京大会担当デスクが務めた。
1915年、全国中等学校優勝野球大会として始まった夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)は今年が100回大会。104年目なのに100回なのは太平洋戦争で中断したためだ。「戦時中に『敵国のスポーツ』と見なされ、どん底まで落ちた野球。どれだけ多くの人が思いを込めて、それを復活させたのか、書き残したかった」。須賀さんは執筆の動機をこう語った。
主人公の神住匡(かすみただし)記者は元球児。甲子園でも投げたが、肩を壊し結果を出せず、高校野球に複雑な思いを抱える。終戦翌日、後に日本高校野球連盟の会長になる佐伯達夫氏に、大会復活をめざそうと熱弁を振るわれる。食糧難など社会は混乱し、あすも見えない日々。グラウンドは芋畑で、道具もない。だが、神住は敗戦国の未来のために高校野球の早期復活が必要だと信じ、動き出す。
須賀さんは執筆にあたって、佐伯氏の自伝や朝日新聞社史など、大量の資料を読み込んだという。
佐伯氏のほか実在の人物では、職業野球に進み、戦死した沢村投手も登場。須賀さんは、神住を沢村投手の同学年とし、神住が対戦を熱望していたがかなわなかったという設定にした。神住は喪失感を抱えつつも大会再開をめざしてGHQ(連合国軍総司令部)と交渉する。「神住たちは様々な権力と闘いながら高校野球を取り戻した。(戦後の復活劇は)今の高校野球の原点だと思う」
夏の大会は、終戦から1年後の46年8月15日に復活。朝日新聞大阪本社版には実際、西宮球場での開会式の写真が掲載され、「地上にパツと咲いた花」との説明が添えられた。
執筆のために当時の新聞を通読した須賀さんはこの記事に心を揺さぶられた。「周りは焼け野原なのに、球場には真っ白の花が咲いているようにユニホームが並んだ。関係者の努力の結実を見た人は感無量だったと思う」。小説の題『夏空白花』はこの写真から思いついた。
高校野球ファンになったきっかけは87年、大会屈指の強打者・鈴木健(後に西武など)を擁する地元の浦和学院(埼玉)が、後にヤンキースなどで活躍する伊良部秀輝投手が属する尽誠学園(香川)と対戦し、圧倒されたこと。テレビで見て「すごい『怪物』がいると思った」。今では地方大会をスコアブックを付けながら観戦するほどのファンだ。
小説では日本の野球と米国のベースボールの違いにも触れる。作中でGHQは、日本の野球教育はプロパガンダにつながりかねない、と大会復活に難色を示す。「まるで『野球道』のように戦前は精神論が強かった。今でも炎天下での連投など科学を越えた極限状態のプレーに観客が感動してしまうのも事実。それでも選手は守らなければ」
延長戦にタイブレーク制が導入されるなど、高校野球も進化はしている。「制度を作り、選手を守ることができれば、安心して観客は感動できる。試行錯誤してほしい」
須賀さんは阪神・淡路大震災や東日本大震災など「困難な時代」にこそ「高校野球は輝いてきた」とも語った。佐々木デスクは、東日本大震災が起きた2011年も高校野球担当デスクの仕事をしていた。「戦後に平和のシンボルとさえなった高校野球。私自身も、途絶えさせてはいけないという気持ちだった」
「高校野球とは」との問いに須賀さんは「有限の美。観客は自らの青春を思い出し、球児のその後の人生も見守る。一つのドラマであり、人生そのもの」と答えた。(宮田裕介)=朝日新聞2018年7月28日掲載