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EU離脱する英国 帝国の歴史と折り合えるか

 欧州連合(EU)をめぐる英国の国民投票の結果は、世界中に大きな衝撃を与えた。ここ数年、英国がEU離脱に踏み切る可能性があると言われてきたのは確かである。しかし、そうした傾向が強まるにせよ、英国民がその道を選択するとは、筆者も予想していなかった。キャメロン前首相も、その前提で国民投票実施を決めたのである。

統合には消極的

 ただ、今回の事態には、歴史的な背景が存在している。欧州統合が具体的に進み始めたのは1950年代であり、52年には欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、58年には欧州経済共同体(EEC)が発足したが、当初、英国はその加盟国にならなかった。19世紀以降、英国は地球上の4分の1といわれる陸地を支配してきた大帝国として、統合をめざす欧州の一部になることに消極的だったのである。
 その姿勢は、帝国の解体が加速化し、欧州統合の経済的成果が見られはじめると変化し、61年に英国はEECへの加盟申請に踏み切った。この間の対欧州政策については、日本の研究者による重厚な著作が刊行されている。大戦直後から50年代中葉までを扱った益田実『戦後イギリス外交と対ヨーロッパ政策』(ミネルヴァ書房・5400円)と、小川浩之『イギリス帝国からヨーロッパ統合へ』(名古屋大学出版会・6696円)である。いずれも、チャーチルが提示した「三つの環(わ)」という図式を重視している。帝国とその後継としての英連邦、英米関係、西欧という「三つの環」。その結節点として、英国が世界で重要な役割を担っているとするこの構図において、帝国・英連邦の意味が低下してきたことで、英国は欧州統合過程への参加を決断した。それに際しては、いま一つの環である米国による後押しの力も働いた。
 英国のEEC加盟申請は、60年代に2度にわたり、フランスのド=ゴール大統領が中心となった反対の動きで却下された。3度目の申請で英国が統合欧州の一員となったのは73年の欧州共同体(EC)加盟だが、それ以降も、英国は統合の深化に距離を置く姿勢を一貫してとってきた。こうした様相を、19世紀初めから200年にわたって、英国と大陸ヨーロッパの関係をめぐる歴史的視野のもとで論じているのが、細谷雄一編『イギリスとヨーロッパ』である。

冷静な論届かず

 歴史的な視野が必要であることは、国民投票の最大の争点となった移民問題についてもあてはまる。その点で、パニコス・パナイー『近現代イギリス移民の歴史』の邦訳が出たことは、時宜を得ている。本書はやはり過去200年を対象とする。その間に英国がきわめて多くの移民を受け入れ、それによって利益を得て多文化社会を作り上げながらも、人種主義を抱えつづけてきたことを、説得的に論じている。「日本語版への序文」の、近年の移民の流入は「過去二〇〇年の間にイギリスにやってきた連綿とした人々の流れの単なる延長に過ぎない」という表現は印象的である。
 しかし、国民投票の移民をめぐる議論では、このような冷静な主張は人々に届かなかった。他方で、世界大国としての英国の歴史がもつ重みは、まだ力をもっているようにみえる。(93年発足の)EUからの離脱を予言し、その後のさまざまなシナリオまで検討した本として知られるロジャー・ブートル『欧州解体』も、離脱後の英国の重要な選択肢の一つとして英連邦をあげており、それは英国がそのすばらしい国家グループの中心にいるからだ、と論じている。
 統合欧州から袂(たもと)を分かとうとしている英国が、歴史的経験とどのように折り合いをつけながら、将来の位置を定めていくのか、注視していきたい。=朝日新聞2016年8月7日掲載