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作家の読書道 第196回:真藤順丈さん

取材・文:瀧井朝世

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手塚治虫が原点のひとつ

――一番古い読書の記憶といいますと。

 物心つく前の記憶がほぼないんですが、このインタビューの依頼をもらってからウンウン考えまして。『マガーク少年探偵団』(E.W.ヒルディック著)っていうシリーズを愛読してたんですよ。思い出せるのはそのくらいで。

――憶えていますよ。少年少女たちが近所の事件を解決していくという。「あのネコは犯人か?」とかありましたね。

 それです! マガークっていうわがままで破天荒な団長がいて、ワトソン役がいて、おてんば娘がいて、嗅覚のすぐれた鼻のウィリーとかいて。シリーズを続けて読んだのも、ミステリに含まれるものが好きになったのもこの作品が初めてだったんじゃないかな。学校の図書館で借りていたんだと思います。

――東京の品川区のご出身ですよね。アウトドアな子だったのか、インドアだったのか。

 地元は大崎とか五反田のあたりで、インドアだったけど「本の虫」ではなかったですね。おしなべて僕らの世代はそうだと思うんだけど、ちょうどファミコンが直撃しちゃったから。あとはプラモデル。ガンダムとか『魔神英雄伝ワタル』のプラモをごちゃ混ぜにして二つの軍勢に並べて、空想でストーリーをこしらえて合戦みたいなのをやらせてました。今にして振り返れば、もっとミヒャエル・エンデとか『エルマーのぼうけん』とか読んでおけよと思う。もしもその頃、絵本や童話がつぎつぎ焚書にされるようなディストピアな時代が来ていたとしても、僕はまったく気がつかなかったでしょうね。そのぐらい日常が書籍と無縁だったように思います。

――ああ、でも空想したり物語を作るのは好きだったのですね。ほかに漫画や図鑑などの読書体験はいかがでしたか。

 もうちょい高学年になってからは「週刊少年ジャンプ」は読んでました。マガジンもチャンピオンもサンデーも全部読んでいたと思う。それで漫画好きになって、中学ぐらいからドハマりしたのが手塚治虫。「漫画の神様」と呼ばれる人だから読まねばぐらいのきっかけだったのかな。講談社から全集が出ていたり、四六判や文庫でもいろいろ読めたので集めやすかったんです。あのころ片っ端から手塚漫画を読んだのが僕の原体験といえるのかも。物語といっても様々なジャンルがあること、暗いものや怖いものもあれば、魂の燃料になるような人間讃歌もあるということ、創作における基礎教養やドラマツルギーといったものは、手塚作品から自然に学ばせてもらったのかもしれません。

――たくさん作品がありますが、なにが好きですか。

 青年向けの大河モノが好きでしたね。『火の鳥』『ブッダ』『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』。連作よりも大長編をくりかえし読んだな。『ブッダ』は主人公のゴータマ・シッダルタ(のちのブッダ)の誕生から始まらないのね。ブッダの対極にいるような、荒っぽくて人間臭い不可触民・タッタの話から始まる。のちにブッダの弟子になるんだけど、つまりこの長大な物語はタッタの一代記でもあるんだなと。そういう演出や構成が、手塚センセイ優しいなあというか、惚れぼれするほどかっこいいと思いました。構成ということでいえば『火の鳥』の過去と未来をかわるがわる語っていく形式とかすごかった。どの時代の猿田彦・我王がいちばん幸せだったかとか考えました。僕、誕生日が手塚治虫と一緒なんです。だから、生まれ変わりかなと思って(笑)。

――真藤さんが生まれた時には手塚先生はまだ亡くなってません(笑)。

 (笑)。そういう輪廻転生の縁があるので、自分も漫画家になろうと思いました。かなり上手かったんですよ、特にキャラクターを描くのはとびっきり。同級生3人で数コマずつ順繰りに回して、授業中にこそこそと鉛筆漫画を描いてました。友達が作ったストーリーラインに乗っかりつつ、僕は新キャラばかりを登場させて。すぐに四天王とか六人衆とか出したがるの。「こんなにキャラがいたら収拾つかねえ!」って言われて。とことんボンクラ男子の手すさびでしたね。

――手塚さん以外に好きだった漫画家といいますと。

 全巻を揃えていたなかではっきり憶えているのは、『ジョジョの奇妙な冒険』『うしおととら』『寄生獣』。漫画界のレガシーのような作品にハマって、この世界観がいちばんわかっているのは自分だとうぬぼれて。ボンクラ特有の無根拠な自信や承認欲求がすくすくと健康に育っていましたね。

チャラチャラする&映画にハマる

――ところで、教科書に載ってる作品を読んで興味を持つとか、学校で回し読みした本などはなかったですか。

 「作家の読書道」らしくなりませんよね、僕もだんだん焦ってきました(笑)。中高時代のそういう記憶がまったくない。読んでなかったってことはないと思うけど。世界文学全集のようなものが親の書棚にあって「読め読め」言われていたけど、指一本たりとも触れなかったです。もう気持ちがいいほどに、その棚からは一冊も読まなかった。

――作文を書くことはいかがでしたか。

 あ、作文は褒められていました。政党機関誌の編集者だった親父の血かもしれない。教師にも文章力を評価されて、特に勉強しなくても国語の成績は良かった。「文意をくみとれ」みたいな設問もなんなく解けましたね。そのかわり、他の教科は目も当てられないほどボロボロでした。なにしろ基本、寝ているか漫画を描いてたもので。

――その後、高校時代も漫画を描いていましたか。

 描いていたけど、高校生の半ばぐらいからチャラチャラしていたというか、ボンクラが背伸びして、ボンクラを脱しようとしはじめたんです。

――チャラチャラしていたって、一体どんな具合に?

 私立の男子校だったので女の子を追っかけたかったんですね、で、悪めの友達とつるむようになって。移動の足はスケボーというような、年に2回ぐらいバイク事故で死んだ先輩を偲ぶ会がある、というようなやつらと。学校もサボり気味になって、友達の家に入り浸っては飲酒や喫煙して、二日酔いでストリートバスケをやったり。おかげでますます読書からは遠ざかっちゃう。

 非行ってことでいえばかわいいもんだと思うし、膝詰めでとうとうと説教してやりたいのはこの頃だけじゃないですし。自堕落で浮わついた時期だったけど、唯一良かったなと思うのは、友達の家にたむろして映画をすごく観るようになったことです。最初のうちは友達とVHSで、そのうち一人でも映画館に通って、すっかり虜になりましたね。

――どのあたりの映画に夢中になったのですか。

 最初はアメリカン・ニューシネマと呼ばれるもの、マーティン・スコセッシの「グッドフェローズ」とか「キング・オブ・コメディ」とか。マフィアものでは「ゴッドファーザー」もきっちりⅢまで大好きで。あとはちょうどデヴィッド・フィンチャーの「セブン」とかブライアン・シンガーの「ユージュアル・サスペクツ」といったサイコスリラーがいっぱい出てきたころで、これはとんでもなく面白いぞって。

 映画のタイトルに関しては、偏愛するものをすべて挙げていったらいくらスクロールしても終わらなくなるので、『七日じゃ映画は撮れません』という自著で注釈のふりをして数百作をレコメンドしているのでぜひ読んでいただきたいんですが、そのころに観たものでいくつか挙げておくと、 スタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」、ジョン・シュレシンジャーの「真夜中のカーボーイ」、シドニー・ルメット「十二人の怒れる男」、マーティン・ブレスト「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」、ミロシュ・フォアマン「カッコーの巣の上で」、マルセル・カルネ「天井桟敷の人々」......。

 邦画だと、黒澤明は「七人の侍」はやっぱり外せないですね。「生きものの記録」や「どですかでん」も挙げておきたい。相米慎二「台風クラブ」、北野武「ソナチネ」「キッズ・リターン」、原田眞人「KAMIKAZE TAXI」、長谷川和彦「太陽を盗んだ男」。今村昌平「楢山節考」「復讐するは我にあり」...... すんません、やっぱりキリがないですね。作家を一人挙げるとしたら、ロバート・アルドリッチなんかどうですかね。「カリフォルニア・ドールズ」、「北国の帝王」、「何がジェーンに起ったか?」と、とにかく傑作揃いの監督で。

――何がツボにはまったのでしょう?

 アルドリッチは男臭いんだけどドラマは上質で、濃やかな情念のようなものが深々と刺さってくる。それと物語の飛躍っぷりがすごくて。「北国の帝王」なんて世界恐慌の時代に、無賃乗車で旅をしようとするホーボーと、タダ乗りを見つけしだい殺そうとする鬼車掌の決闘をえんえんやる話ですよ。「何がジェーンに起ったか?」も今観てもすごい。昔、子役スターだった妹と、そのころ付き人だったお姉ちゃんがいて、大人になってから立場が逆転するんだけど、ある事故があって姉ちゃんは車椅子生活になり、妹にほとんど監禁されて......子役時代の栄光を忘れられない妹をベティ・デイビスが演じてるんだけど、もうおばあちゃんなのにフリフリの衣装を着て踊ったりする。それがもう怖くて怖くて......あの映画一本でベティ・デイビスは僕の最恐ホラー女優になりました。現在に至るまで誰にもその女王の座は奪われていません。

大学時代の作家読み

――大学時代の読書生活はいかがでしたか。

 大学で国文学部に入ったのもあって、ようやく小説を系統立てて読むようになりました。授業の課題というのもあったし、それがなくても文章の面白さにやっと開眼したんです。近代文学をいろいろ読みました。夏目漱石、太宰治、三島由紀夫、坂口安吾、「この人が書くものは面白い」となったら本屋に並んでいるものを端から読んでいく「作家読み」をするようになったのもこのころからだと思います。

――作家読みしたのはどの人ですか。

 安部公房はすべて読みました。『砂の女』『箱男』『方舟さくら丸』、短編集の『R62号の発明』『水中都市・デンドロカカリヤ』が忘れられない。比喩や表現がとにかく面白くて、舐めるようにゆっくり文章を読んでいくのが心地良くて。だるいところやつまらないところがまったくなくて、前衛でありながらエンタメという面白さは、映画や漫画ではなかなか味わえないものでしたね。

 村上春樹も、現在に至るまで「作家読み」しています。『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』は分厚い上下巻がまるで苦にならない面白さで、小説ってすごいなと、こんなにどっぷり作品世界に入りこませてくれるのかと。筒井康隆さんにハマったのもこのころです。こちらの想像力を活性化してくれる作用があるというか。もっとも偏愛しているのは『驚愕の曠野』ですかね。
 そのあと純文学にカテゴライズされる作品から、エンタメ方向にも読書がひろがっていって。江戸川乱歩やスティーヴン・キングに行ったあたりから、ホラーや幻想怪奇といったジャンルが「主食」のようになっていきました。『IT』とか『シャイニング』は映画よりも原作派です。

 それまでずっと海外小説って読めなかったんだけど、あれって読書筋のようなものがあるのか、つづけて本を読んでいるといつのまにかすいすい読めるようになるのね。で、それが嬉しくて、調子に乗ってビッグタイトルにも手を出していって。ガツンとやられたのはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。メインの話が父親殺しの兄弟たちの裁判で、枝葉末節だらけなのに面白く読めるのはどういうこっちゃ、と。「世界最高の小説」といったときに上のほうに出てくる小説はやっぱりなんかすごいから読んでいこうと思った。サルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』が面白くてマジックリアリズム系の作品を読んでみたり、あとはセオドア・ローザックの『フリッカー、あるいは映画の魔』

――あ、「このミス」の1位も獲得した海外ミステリですよね。ミステリという感じではなかったけれど面白かった記憶が。

 映画好きというのもあって、これは何度も読み返しました。B級ホラーばっかり撮っているのになぜか観客の視線を釘づけにする幻の映画監督の謎を、映画科教授の主人公が追いかけていくという。師匠筋の女性評論家とエロティックな関係になったり、オーソン・ウェルズやジョン・ヒューストンが出てきたりして、虚実が入り乱れながらハリウッド映画史の変遷が語られていくんです。実際に映画を観ているような心地にさせる精緻な描写が圧巻でして。『フリッカー』の中から拾った〝マグナムオーパス〟というラテン語(文芸・芸術における最高傑作、偉大な仕事といった意)があるんですが、要するにオールタイムベストみたいなことですが、僕にとってこの小説はまぎれもなくマグナムオーパスですね。

 あ、マグナムオーパスでいうと、また漫画の話に戻っちゃって恐縮ですが、新井英樹の『ザ・ワールド・イズ・マイン』。連載中から読んでいて、ちょっと比類のない衝撃を与えられました。今でもその脳震盪めいたショックが続いているような気がするぐらい。創作物としての破格の力が、ある種の呪縛めいたものにまでなっている。

――どんな話ですか。

 モンちゃんとトシという連続爆弾魔がいて、それが本州を北に上がりながら次々と魔法瓶に仕組んだ時限爆弾を仕掛けていくんですね。どうやら梶井基次郎が本の上にレモンを置いて爆弾を仕掛けたつもりになるっていう、文学上の有名なエピソードから採られて「モンちゃん」と呼ばれているんだけど、実際は本名も来歴もわからない謎の男で。その一方で、北からヒグマドンっていう怪獣が下りてくる。その二つの勢力があるところでぶつかってカタストロフィになるんですけど、アメリカ大統領から日本の首相、自衛隊、世界中のテロ組織も巻きこむ驚異の展開が続いていく。暴力描写や非道徳性がすごく取り沙汰された作品だけど、本当にすごいのは国家首脳からそこらの暴走族、女子高生、小学生や幼稚園児、事件の被害者遺族に加害者の親、ヒグマドンに踏みつぶされる犠牲者まで全員にストーリーがあるところで。「あ、この人はモブなしで物語世界を作ろうとしている」と感じました。その徹底ぶりがすばらしくて、しかもどの人物も、人間臭いんだけどいとおしくて、そういうものは読んだことがなかったから圧倒されました。それって実はもっとも道徳的な創作の在り方なんじゃないかって。黙示録の部分だけをグーッと引き延ばして書かれた聖書のように思えましたね。

映画制作から小説執筆へ

――大学時代、ご自身でも映画を撮り始めたそうですが。

 映画サークルというわけではなかったんですが、DVカムがあったのではじめは遊びで名作のパロディのようなのを撮りはじめて、すぐにオリジナルの短編や長編映画を撮って上映会をやるようになりました。初めて真剣に、創作意欲をワーッとぶつけたのは小説ではなく映画でした。

――演出ですか、脚本ですか。

 自主制作の団体を起ち上げてからは、その時々でまちまちでした。アイディアをいろいろ寄せあって、他の仲間が監督脚本をやるときもあるし、僕がやったときもあるし。ふりかえってみればなかなか豊富な人材が揃っていたと思う。高校時代の連れが美大に行ったので、そのあたりの人間がたくさん入ってきて。舞台でコントをやっているやつもいたし、芸人志望もいたし、劇伴(映画音楽)を自前で作れるやつがいたし。今こうしてまがりなりにも僕が小説家としてやれているのは、このときのゼロから作品を創るという仲間との共同作業が、間違いなく最大の資源になってます。

――真藤さんも周囲に刺激を与える人間だったということでは。

 いやそれが、俺のアイディアなんてほとんど採用されないんですよ。映画や小説には詳しいし、撮影のノウハウもあるけど、頭でっかちな感じで。美大に入るようなやつは感性が違うのかなとコンプレックスばっかり膨らんで、みんなを沸かせるアイディアが出せなくてしょげてました。このころに周りの連中に鍛えられましたね。すごく恵まれていたと思います。あのころの共同作業の熱は恋しいので、この話になるとノスタルジー全開で遠い目になりますね(笑)。 

――その頃は映画監督志望だったわけですよね。

 そうです。だけど映画は自主制作の常で、いろんなことが頭打ちになっていくんです。予算はないわ、人は辞めていくわで。僕は演出もしていたけど、脚本や編集のほうが得意だったんです。僕は今でも「推敲」からが小説の執筆だと思っているんですが、映画作りではその推敲がきかない。追加撮影はまずできないし、編集作業でも手元の素材でやりくりするしかない。脚本を書いていても台詞よりト書きのほうがどんどん筆が乗るし。それで大学時代にいくつか習作を書いてゼミの教授に褒められた体験があったので、自分のやりたいことを限界なしに表現できるのは小説だけなんじゃないかと思うようになって。さんざん悩んだすえに、一緒に旗揚げした連れに「おれは小説家になりたい、だから映画からは手を引く」って伝えて。ほとんど逃げ去るようにして辞めて、小説家志望の投稿時代になだれこみました。

――では、大学を卒業して、アルバイトをしながら映画を作ってきたのが、小説書きへと変わったわけですね。

 就職はしたことなくて、映画関係で知り合った人に制作部とか助監督の仕事で呼んでもらってたんだけど、映画を抜けてからは飲食店のバイトだけに絞って。月10万ぐらいの稼ぎで、小説をひたすら読み、書くという生活を3年ぐらい続けました。

――その頃ってどんなものを読んでいましたか。

 角ホと異形コレクション、それから海外小説が多かったですね。

――角ホ......あ、角川ホラー文庫のことですね。それはなんでしょう、自分が書けそうな分野だと思ったからなのでしょうか。

 すでに乱歩とキングの洗礼は受けていて、それからサイコスリラー映画で人間の怖さを描いた物語にふれていて......ホラーは自分の嗜好からずっと外れていませんでした。ついつい手が伸びてしまうのは黒っぽい背表紙で。

――何かとりわけ好きな作品はありましたか。

 角ホだと、貴志祐介の『天使の囀り』とか『クリムゾンの迷宮』とか。後に出た『新世界より』も世界観にひれ伏しました。日本ホラー小説大賞がらみのものはほとんど読みましたね。恒川光太郎の『夜市』、小林泰三の『人獣細工』『家に棲むもの』といった短編集がいまでも書棚の手に取りやすいところに鎮座しています。

 異形コレクションでは、平山夢明にやられました。平山さんといえば実話怪談や「映画秘宝」のコラムでその名を轟かせていたんですけど、僕は短編小説からその文章に触れました。そのころ書いていたものにもダイレクトに影響を受けちゃって、グロテスクとか鬼畜系とか評されていたけど、この人は誰も到達してない未踏の領域にまで突き抜けた本物中の本物だと思いました。デビューしてから知己を得て、勝手に弟子を名乗ったりして。今じゃ気さくにバラエティ番組とかにも出てますけど、街ブラとかやってますけど、『独白するユニバーサル横メルカトル』が刊行された当時は、僕の目には文壇でもぶっちきりでヤバい、小説界のハンニバル・レクターのように映っていたんですよ。平山さんは親分肌で面倒見が良いので、舎弟根性たくましい後輩の相手もしてくれて、それこそ『墓頭』を出すぐらいまではしょっちゅう貴重な指南をいただいていました。

 他にも当時は、人気作家の作品を濫読していました。宮部みゆき、高村薫、東野圭吾、恩田陸、京極夏彦、伊坂幸太郎、福澤徹三。島田荘司や歌野晶午といった本格ミステリにも手を出して。『葉桜の季節に君を想うということ』は大好きです。それから連城三紀彦の『戻り川心中』とか、泡坂妻夫の「亜愛一郎」シリーズをミステリの教材のように読んでいました。本格はすぐに「おれには無理だ」と思って諦めたけど。

 このころ読んだなかで他にすごく影響を受けたり、いまでも仰ぎ見ているのは、町田康の『告白』『夫婦茶碗』、佐藤亜紀『戦争の法』、古川日出男『サウンドトラック』『ロックンロール七部作』『ボディ・アンド・ソウル』、中島らも『ガダラの豚』『永遠も半ばを過ぎて』、皆川博子『死の泉』『結ぶ』といったあたりです。こうして挙げるだけでも満天の星座を見上げているような、美酒に酔いしれるような気分になりますね。

――この頃に読んだ海外文学ではどれがお好きだったのでしょう。

 海外小説だと一番好きなのはコーマック・マッカーシー。『ブラッド・メリディアン』『血と暴力の国』『すべての美しい馬』。黒原敏行さんの訳文がまた最高なんですよ。翻訳者の名前で選ぶようにもなりました。柴田元幸訳ではポール・オースターとかデニス・ジョンソンの『ジーザス・サン』とか。とにかく文章に酔いたいんです。村上春樹訳でレイモンド・チャンドラーを読みかえしたり、マイケル・ギルモアの『心臓を貫かれて』に魂をわしづかみにされたり。

――『ジーザス・サン』はドラッグと日常と狂気の短篇集で、『心臓を貫かれて』は死刑囚の弟が、兄や事件、家族について書いたノンフィクションですよね。『冷血』みたいな感じの。

 あれ、わりと家族愛の話でもあるんですよね。土地の因習や、強大な父性を超えようとした兄弟の絆の物語で、あの読書体験はデビュー作の一本になった『庵堂三兄弟の聖職』に反映されていると思います。

月1本投稿からデビュー

――読書記録をつけていたりはしませんでしたか。

 つけてないですね。本に書きこんじゃうほうなので。

――へえ、ペンでですか?

 ペンで。ただ「すげー」「面白え」とかうわ言みたいな感想を書くときもあるし、アンダーラインも引くし。その小説を読んでいて思いついたアイディアとかもわーっと書きこむ。だから言うなればそれが読書記録なのかもしれません。

――あとで見返すんですか。

 たいていはどこに何を書いたかわからなくなります。「あれに関してメモした気がするけど、どの本のどの頁か全然わからない」ということはしょっちゅうあります。でもすごく良い閃きはちゃんと憶えているから、忘れるようなネタは使えないネタだよなと吹っきれる。

――新人賞への投稿時代、ものすごいハイペースで作品を書かれてませんでしたっけ。

 3年間、どの賞にも引っかからなくって。一次選考も通らないありさまで。さすがに「この先どうする」となって、それで月1本出すのを1年間やってみようと。それでも箸にも棒にもかからなかったら人生の方向転換をしようと。幸いにもそういう背水の陣でやり始めたら、出したものがどれも最終選考に残って、どれも受賞できたんです。当時はとてつもなく貧乏で、ガスとか電気とかすぐ止められていたし、出前一丁のどんぶり移しばっかりが上手くなる日々で、いい感じに追いこまれて火事場の馬鹿力が発揮できたんだと思います。

――しかも、いろんなテイストのものをお書きになっていましたよね。

 12ヵ月分の賞のカレンダーを作って。ラノベも純文系も、「このミス」も「ホラ大」も「乱歩賞」も全部獲ってやるぞってね。あまりに無邪気で、恐れ知らずで、当時を思い出すとおのずとアルカイック・スマイルになりますね、ちょっと羨望込みの。

 傾向と対策みたいなものに縛られまい、という反骨精神はありました。そんなのみんな考えてるんだから、おなじ土俵で戦っても勝てないんだから奇をてらわなくちゃというか、変わったことをやらかして悪目立ちしようという自覚は強かったです。

――脚本を書いていたとはいえ、いきなり小説は書けましたか? 教授に褒められたことがあるとのことでしたが。

 変な小説は書いてたんですよ。一番褒められたのはおじいちゃんおばあちゃんのお尻から羽根が生えてくる話で。

――え(笑)。

 人間が進化して、若者のころから早寝早起きを1日も欠かさずにしていると、老年になったころにお尻から羽根が生えてくるという大変に夢のあるファンタジーです。これが褒めちぎられて、そうか「センス・オブ・ワンダー」とはこういうものかとわかったような気になって。でもそういうのを応募しても全然引っかからない。で、好きなホラー系にしてみたり、実際の地名が出てくる現実とリンクがあるものを書いてみたり。映画の撮影現場のミステリも書いたな。12ヵ月の12作応募は、最後までやりきろうと思ったんですけど、受賞してからは編集者と出版の話が始まって「もう出さないでいいです」と言われて断念しました。

――だって、いきなり新人賞を4つ獲ったんですよね。『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞、『庵堂三兄弟の聖職』で日本ホラー小説大賞大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で電撃小説大賞銀賞、『RANK』でポプラ社小説大賞特別賞。

 運良く下駄を履かせてもらったんです。作家としてのバブルがいきなりド頭にやってきた。デビュー直後はてんやわんやで、仕事場を借りて籠りっきりになって、熱に浮かされているような、だけどうまく回せているような気がしなくて、出版社に目をかけてもらっているのにヒット作を出せない焦りで、筆も滞りがちになって。鳴り物入りでデビューしたのにその鳴り物をぜんぜん鳴らさないという(笑)。デビューしたての時期を思い出すのはしんどいですね、心に苦いものが広がります。

デビュー後の読書と新作について

――本を読んでいる場合じゃなかったですか。

 ずっと読めてなかったなあ、作家になってから確実に読書量は減りました。でもこのところはようやく取り戻してきたかというか、編集者に教えてもらったものや話題になっているものは読むようにしてます。あと書店でビビッと興味を惹かれたものを。

――食指が動くのは、どんなものですか。

 なにかこの小説は、見たことのない風景を見せてくれそうだなとか。乗ったことのない線路に乗せてくれそうだなとか。自分が知っているような類型にはまってなさそうなもの。あとは横溝正史ミステリ大賞と合併されちゃったけど、ホラ大受賞の作品はもれなく読んでいますね。

――ノンフィクションとかは。

 最近読んで良かったのは、磯部涼の『ルポ川崎』。これはヤクザ者になるか肉体労働者になるかという道しかなかった若者たちが、ラップで人生の活路を見出すという世界のどこにも通じる普遍的な命題を扱っていて。レイシズムへのカウンター運動なんかにも興味があるので、心打たれた読書でした。あとダグラス・アダムスの『これが見納め』っていう絶滅寸前の動物ばかりを見に行くおかしな紀行文が面白かった。

 それからノンフィクションとはちょっと違いますが、精神科医の春日武彦先生の本はどれも好きです。『無意味なものと不気味なもの』という自身の体験を重ねながら小説を紹介する書評集がありまして。数年前に『鬱屈精神科医、占いにすがる』という名著も出て、これは春日先生ご自身の精神分析にもなっているような本で、やっぱり抜群に面白かったですね。

 春日先生は、それはもう文章が恐ろしいほど闊達で、「達意の文章」というやつですか。表現しえないものを表現しようとしているというか、名前のついていない感情に名前をつけてくれるというか。たとえば「精神科医は相撲の行司みたいなものだ」とおっしゃる。患者がなにかと戦っているにせよ、たとえむなしい独り相撲にせよ、のこったのこった、と言いつづけてやるのが精神科医の仕事だって。そういう感じで言葉にできていないことを言ってくれるので、僕はあの人の文章はいくらでも読んでいられます。

 安部公房も平山夢明も村上春樹もそうだし、原著に当たれないけどコーマック・マッカーシーも絶対そうだと思うんだけど、文体がすでにその作家固有のものになっている作品に強い憧れと嫉妬を抱くんです。一文一文のすみずみに至るまでその作家のサインが記されているような。エンタメ小説の世界にはできるだけ作家の気配は消すべきだという考えもあるけど、すごく面白い話だけど誰が書いてもおなじという文章に興味はない。なんといっても文章こそがこのメディアの最大の武器だし、書き手の「声」ともいえる「語り」の快楽に浸れてこそ、真に心に残る読み物になりえると思ってます。

――語りの快楽という意味では、新作『宝島』はまさにそれを堪能しました。戦後の沖縄で、米軍施設から物資を強奪する戦果アギヤーの英雄が失踪、ヒーロー不在のなか、混乱の時代を生き抜いていく3人の男女の20年にわたる物語。沖縄には興味があったのですか。

 ありがとうございます。現在の僕が持っているものをすっからかんになるまで注ぎこんだ小説です。一人でも多くの読者に、小説そのものの力を感じられるような読書体験をしてもらいたくて、沖縄の烈しさと恵み深さにふれてほしくて書きました。1952年から返還の72年まで、20年間にわたる沖縄の青春物語であり、冒険小説であり、ビルドゥングス・ロマンです。とにかく掛け値なしに面白い小説を、ただそれだけを志向して、沖縄という物語の鉱脈にみずからはまりこんで書き上げました。

――彼らの物語を、誰かが語り聞かせてくれているような文体ですよね。迫力もあるし飄々としたところもあって、神話的な物語を聞かされているような気分になれる。

 沖縄に出自を持たない自分が、土地のナラティブとして語っているので、これは途方もない挑戦でした。だけど例えば、東京生まれの主人公が沖縄に渡って......といったかたちでは僕が達したい物語の深層には達することができないと思って。自分にとって遠い時代や土地の話、そこで起きていた本物の悲喜劇を伝えるには、現地の人間になりきって書くしかなかったんです。そういう事情もあって、構想から完成までに7年もかかりました。

――ミステリであり、青春小説であり、成長物語であり、歴史であり......いろんな読み方ができる骨太な小説ですよね。書き上げるまでに時間がかかったそうですが、普段、1日の執筆時間などは決まっているのですか。

 あの島のあの時代を登場人物とともに疾走する、他にはない濃密な世界を味わってもらえると思います。執筆期間はしょっちゅう昼夜逆転してますね。この『宝島』の執筆中に第二子が生まれたので、子供中心の生活ではあります。保育園の送りや迎えにあわせて、送ってから寝るか、迎えにいってから寝るか。筆が乗ると朝方まで頑張っちゃって、またそれで昼と夜が入れ替わったりしてますね。

――今後はどのような小説を書きたいですか。

 沖縄にかぎらず土地ごとの歴史や伝承といったものにはたえず関心があるので、そういう柄の大きなものには取り組んでいきたいです。出版業界全体が衰退している今、これまでにない新たな〝マグナムオーパス〟の星座を描くのは僕らの世代の役目だと思うので、これまで人生の道を拓いてくれた傑作群に恩返しするためにも、自分の出世や〝お金欲しい〟という気持ち以上に、エンタメ小説の世界を盛り上げることに身を捧げなくては、と最近ではわりと真顔でそんな感じのことを思っています。

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