いま目の前でほめてもらえることをやる
――俳句でのご活躍が注目されていますね。先日放送された「プレバト‼」の強者だけが競う大会・金秋戦でも、梅沢富美男さんに次いで2位でした。ここまで俳句にハマった理由はなんですか?
一番大きいのは、ほめてもらえた、っていうことです。プロの方に認めてもらうと、マジで作ったものが報われた感覚はあります。
――夏井先生の査定を待っているときに、祈っている顔がブサイクなんですけど、いつも必死な気持ちが伝わってきます。
やっぱもう、賭けてる気持ちが全然違うんですよ。
――何を目指しているんですか?
何を目指してるかは分からないんですけど、いま目の前でほめてもらえることをただやる、っていうだけです。お笑いも含めて。
――ほめられたい、認められたい、というのは。
普段あんまりほめられないんです。けど、なんか知らないけど俳句は結構素直にみんなほめてくれる。たぶん、俳句が僕から切り離されてるからかもしれないんですけど。
僕が番組とか飲み屋でしゃべってて、誰かに「こんな風に思ってるんですよ」とか「今日は月がきれいでね」って言ったら、「いや、うぜーな」で終わるじゃないですか。「おめーが言うんじゃねーよ」って。僕というイメージと、僕がしゃべることが常にくっついてしまってるんで、本当はほかの人が言ったらかっこいいことでも、僕が言うと全部かっこ悪くなる。でも俳句になった瞬間に、「あなたがどういう人格であれこの俳句はいい」っていう扱いになるじゃないですか。それは僕にとってはすごくいいことなんです。
「サラダ記念日」をきっかけに短歌を始める
テーブルに君の丸みのマスクかな
――この村上さんの俳句を番組で目にした時に、ハッとするほどいい句だなと思いました。私は句歴13年なのですが、「マスク」という冬の季語を使った句というと「顔が隠れている」とか「そのぶん目力がすごい」とかいう発想にいきがちで、「丸み」に着目した句はあまり見たことがない印象だったんです。俳句を作ったのはこれが最初ですか?
ありがとうございます! この句が2回目に番組に出た時の句なんですよ。1回目は、
コスモスや女子を名字でよぶ男子
ですね。
――小学生だか中学生だかの下校風景とか遠足の情景が浮かんできますね。番組に出た当初から、村上さんは「才能アリ」査定だったんですよね。それまでに俳句を作った経験はあったんですか?
俳句はコスモスの句がまったくの初めてでしたね。おととしの秋くらいだと思うんですけどね。僕はその1年前に、短歌をまずやってたんです。きっかけは本当にひょんなことでしかないんですけど、偶然、俵万智さんの『サラダ記念日』を本屋さんに行って買ってみたんです。そしたら「あ、おもろいな」ってふつうに思って。
そしたらもう一人、芸人の先輩で「みのるチャチャチャ♪」って芸名の橘実さんも、たまたま短歌の本を読んでたんですよ。それで「あれ、僕もいま短歌の本を読んでるんです」って話になって、そしたら「ちょっと短歌作ってみようぜ」って。口約束だとそのままになるんで、ちょうど2人とも休みがあった時に日帰りで三浦海岸に行って、その日のことを短歌にしてお互いに見せ合うっていう遊びをやったんです。
――短歌を鑑賞するだけじゃなくて、作りたくなったんですね。
短歌とか俳句とかやれたらすごそうな感じがするな、くらいの軽い気持ちだったんですけど。特に俵万智さんの作風が現代語で、誰にでもできそうな気配が少しあるじゃないですか。もっと堅苦しい、教科書に載っているようなものかなと思ったら、「あれ、こんなおもしろい例えとかあるんだ。これだったら楽しいかもな」って思ったんですよね。
でも、やってみたらすごく難しくて、作り方もよく分かんない。でも楽しいから「ちゃんとした人に見てもらった方がいいよね」って橘先輩が小島なおさんっていう若い歌人の方を紹介してくれて、その方にお客さんの前で僕の短歌をボロカス言ってもらう、っていうライブをやったんですよ。そっからちょっとまじめにやり出した、って感じです。
俳句を始めて「見える色が1個増えた」
――短歌から俳句を始めて、どんなところに違いを感じていますか?
ダントツは季語。短歌も俳句も「描写」なんですけど、短歌は自分史とかちょっと批評性のあるものとかも許されるんですね。でも、俳句は基本的には常に季語が主役でないといけない。難しいんですけど、逆に言えばそこは絶対にぶれないので、季語と関わることで自分が思ってたことのもう一歩先のことが見えたり、意外と自分の世界が広がっていく感じがあって、それは楽しいかなと思いますよね。最初はすごく窮屈だと思いましたけどね。
――なにか生活で変化したことはありますか?
よくかっこつけて言うんですけど、「見える色が1個増えた」っていう。
――(笑)。あ、すいません。
今までは紺色も青色も藍色もぜんぶ同じ青だったんですけど、今はそれぞれに違う青があるし、色が1個増えたような感覚がありますね(笑)。
あと、本とかそれなりに読んでて、いわゆる直木賞的なものとかミステリーが物語としておもしろいと思ってたんです。「この人が犯人だったんだ」とか「こういう展開するんだ」っていうのが分かるんで。けど、俳句とか短歌とかをやってると、純文学みたいなのも最近は「あ、こういう楽しみ方ができるのね」っていう風になってきました。
例えば村上春樹さんとかって、途中まではおもしろいんですけど、オチがないじゃないですか。『ノルウェイの森』とか読んでてすごい(オチを)「言えや」って思ってたんですよ。「教えてよ!」とか思ってたんですけど、俳句や短歌が目指してる世界が「説明しない」というか、僕の勝手な解釈ですけど、「読み手を作り手と同じ場所に立たせる」っていうところがあるじゃないですか。だから今『ノルウェイの森』を読むと、「なるほどね、そういうことね」って読めるんですよね。
――俳句は普段、どのように勉強しているんですか。
僕はもう、作るだけです。あとは名だたる先生たちの句集を読んで、ちゃんといいものを見るっていう。櫂未知子先生の「雪まみれにもなる笑つてくれるなら」という句が好きなんです。映像の描写がきれいだな、っていうのともう1個、思いみたいなのも入ってるじゃないですか。俳句を始めた頃に知ったんで、こういうこともありなんだっていうのが知れておもしろかったですね。
夏井先生の「一斉に見えぬもの指す踊かな」もいいですね。夏井先生の句集を見たら、身近なものをちょっとユーモアをまぜて言ってることが多くて、ああいうのが好きなんです。壮大なものとか、僕は作れないんで。そういう身近な気づきが好きなんですよ。
俳句もネタも「あるある」が大事
――村上さんの作るコントのネタも、身近な「あるあるネタ」がベースになっていることが多いですよね。俳句とお笑いの共通点はあるんでしょうか。
あると思います。お笑いの「あるあるネタ」って、みんながすぐ思いつくようなものじゃ笑いが起きないじゃないですか。言われてみたら、「あーハイハイ、あるある、確かにあるわ」っていうことがうける。例えば「大学生の飲み会ってうっとうしいよね」っていうのも、一気飲みしてる、とかはみんな思いつくじゃないですか。でも、それじゃつまらない。要は「大学生がお酒をスゲー飲んで酔っ払ってるのがうざい」から掘り下げていって、その一歩先に行くと「店に出禁くらったとかいうのを勲章にしてるヤツ」。そこまでいくとネタになるんです。さらにその人が言うセリフとか、何を着てるとか、具体的なものを作っていくのが僕のネタ。
俳句もかなりそれに近くて、「この赤がきれい」っていうのは分かる。みんなそう思うだろう。でも、じゃあどんな赤に似てるんだろう?って掘り下げる。「ありがち」じゃなくて「あるある」なんだ、っていう世界観はめちゃくちゃ似てるかな、って思うんですけどね。観察はふだんからずっとしてて、ちょっとでもひっかかったのは全部メモっとくんですよ。俳句もネタもそれをブラッシュアップしていく、って感じですね。
――これまで表に発表していない句で、自信のあるものを披露してもらってもいいですか。
風花や確かもうない映画館
後輩の俳句の冊子みたいなのに出したやつですけど。これは自分の中に「あー、そういえば昔行ったあそこもうないかもな」っていう感覚ってあるじゃないですか。それと「風花」っていう季語がむちゃくちゃ相性いいかなって思ったんです。ちらつく雪を見た時に何かを思い出す、っていう。自分では好きな句ですね。
――これから道場破り並みにいろんな句会に参加していただきたいのですが、意気込みをお願いします。
句会は行ったことがないので楽しみなんですけど、どういう年齢層がいて、どういう時間の中でどういうことが行われているかが全然分からないんで。その場で作ることもあるんですよね? たぶん。僕めちゃくちゃ作るのに時間かかるんで、吟行とかでどんだけのものができるかな、っていうのはあります。作り慣れてる人たちはパターンとか持ってたりするから。でも、そういう人たちにも一目置かれるようにはなりたいです。