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#9 27歳にして味わう挫折 フィリピン・セブ島

フィリピンのセブ島にある、街の教会。

 会社を辞めてすぐ、私はフィリピンのセブ島に行った。2週間ほど語学留学をするためだ。会社を辞めてフリーランスになるのだから、錆び付いた英語力を磨いて自分を高めるのだと、女27歳(当時)にして、妙に意気込んでいた。

 なぜフィリピンのセブ島を選んだのかというと、それまでフィリピンに行ったことがなかったし、欧米での留学に比べて費用が格段に安いから、という単純な理由だ。私の学校は、セブ島の中心地からは少し離れたところにある、韓国資本の学校だった。選んだのは「スパルタコース」。その名の通り、朝8時から夜7時半まで50分授業10コマ、授業後は約2時間の強制自習時間があるという過密スケジュールだった。1日10時間英語漬けということになる。ちなみに、平日は外出が禁止されていた。

語学学校の中庭にはプールがあった。その他ジムも完備されていて、始業前や就寝前に一汗流した。
語学学校の中庭にはプールがあった。その他ジムも完備されていて、始業前や就寝前に一汗流した。

 本格的に授業が始まる前にテストを受けて、18段階のレベル分けがなされる。一応浪人までして大学受験を経験した身なので、リーディングやリスニングの能力は、何とか上から2番目のクラスだったが、問題はスピーキングである。これが、難しい。思っていることの半分も言い出せないのだ。「心理学者」やら「方言」やら難しい英単語は知っているくせに、「咳が出る」やら「几帳面」やら、普段から使いそうな単語が咄嗟に出てこないのである。何とも情けない。

 アメリカ人やイギリス人の講師もいたが、ほとんどのクラスはフィリピン人が講師を務めた。面倒見が良く、性格も温厚な講師が多かったので、「スパルタコース」とはいえ、授業自体は明るく面白い授業だった。英語で英語の文法を習ったことがなかったし、発音記号なるものにも無頓着だったし、私が取り組んできた英語の勉強方法とは違うアプローチで、発見が多くあったことは事実だ。

セブ島を走る、乗り合いバス。「ジプニー」と呼ばれていて、地元の人の大事な移動手段だ。
セブ島を走る、乗り合いバス。「ジプニー」と呼ばれていて、地元の人の大事な移動手段だ。

 しかし、やはり、2週間という期間は短かった。そして、今思えば、分からないことを素直に分からないと言えない無駄なプライドも邪魔をしたのだと思う。

 言いたいことを思うように言えないというストレスはなかなかのもので、27歳にもなって、まともに英語を喋られない自分に腹が立っていたし、挫折を感じた。何気ない日常会話でも授業中の会話でも、あの時分からないと質問できれば、あの時間違っていても発言していれば。そんなモヤモヤとした思いが募るだけの2週間だった。

平日は外出禁止だったが、週末はクラスメイトらとアイランドホッピングに出かけたりして、それなりにアクティビティも楽しんだ。
平日は外出禁止だったが、週末はクラスメイトらとアイランドホッピングに出かけたりして、それなりにアクティビティも楽しんだ。

 最近、劇作家で演出家の鴻上尚史が書いた『ロンドンデイズ』(小学館文庫)を読んだ。鴻上さんが1997年から1年間、ロンドン市立ギルドホール音楽演劇学校に留学したときのことを書き記した本だ。これが読み物として、とても面白い。日本では当時からプロの演出家として活躍している鴻上さんが、いち演劇学校の生徒として学ぶ記録文学である。俳優になるための授業内容や個性豊かなクラスメイトたちとの交流、語学面での苦労なんかが、面白おかしく、時に真面目に、赤裸々に綴られている。

「ひざ枕」のヒザは、「LAP」である。「鼻水」は、「RUNNY NOSE」という。こういう生活の単語を知らず、「妥協」とか「解放」とか「和解」「葛藤」とかの抽象名詞を知っているということを、ほとんどのイギリス人は理解しなかった。理解できないだろうとも、思う。(71ページ)
1年間、本当にありがとうとしんみりする。が、それ以上の微妙なニュアンスがうまく英語で伝えられない。しょうがないので、「レイチェル、君とエッチがしたかった」と言ってしまう。(359ページ)

 留学当時39歳だった鴻上さんは、20年経った今でも、この留学で出会った人たちと交流を続けているという。いち生徒として、素直に、愚直に学びを深めた結果だろう。

 もう少し早くこの本に出会っていれば。私はもう少し柔軟に、そして失敗を恐れずに、あのセブでの時間を過ごせたかもしれない。後悔がちくりと胸を刺した。