オリンピックを決めた瞬間はいまでも忘れられない
――ラグビーを始めたのは大学の授業がきっかけということですが、ラグビーのどんなところに魅了されたのか教えてください。
授業ではタックルがなかったんですけど、「ボールを持って走るスポーツってある!?」と新鮮に思ったんです。いままで球技はアイスホッケーをしていましたが、それもドリブルはする。持って走っていいラグビーの特性に感動したし、おもしろいなと思って、大学までやっていた陸上ではなくこれからはラグビーをやろうと。7人制ラグビーが、2016年開催のリオデジャネイロオリンピックから正式種目になるというのも大きかったですね。
最初に買われたのは「パワー」でした。フォワードはスクラムやラインアウトなど体幹を使うポジションなので、円盤投げで培った体幹の強さを評価してもらえました。いま思えば、ラグビー一筋だったらここまでこれていなかったかもしれないです。小さいときから違うスポーツをやっていたおかげで、いまの自分があるのかなって。
――陸上やアイスホッケーの経験がラグビーに活きたんですね。これまでに印象的だった試合は、やはりリオオリンピックになりますか?
リオオリンピックはもちろん、その出場を決めるためのオリンピックアジア予選もですね。優勝しないとオリンピックに出られない、絶対負けられない試合が続いていたので、そこで優勝したときの「オリンピックを決めた瞬間」というのはいまでも忘れられない気持ちです。自分たちで獲ったオリンピックへの道があったからこそ、オリンピック出場も凄く忘れがたいものになりました。
――その瞬間どういう気持ちになったか、言葉にできますか?
やっぱり気持ちいいですよね。それはもう忘れられないですよ。そしたらもう一回、もう一回ってなりますよ(笑)。いままでに感じたことのない嬉しさや緊張も味わいましたし。ワールドシリーズで世界を回りもしましたけど、オリンピックのグラウンドに立って、やっぱりオリンピックは特別な場所だと強く思いました。それが忘れられないから、東京オリンピックも目指したいんです。
――それこそラグビーを始めて4年でオリンピック出場と聞いてびっくりしましたし、凄いと思いました。ご自身で分析して、そこまで辿り着けたのはどうしてだと思いますか。
ラグビーを始めたときが、ちょうどラグビーを強化するタイミングだったんです。なので、まだそこまで経験や実績がなくても、将来を買われて入れてもらったっていう面はあると思います。いまでは考えられないことですけど、私が代表に入る前って、確かアジアで5位からのスタートだったんですよ。そんな段階だったので、自分のような他競技からの転向組がどんどん増えていきました。バスケやバレー、サッカーなどいろんなスポーツから来てもらって競争させて、ラグビーを底上げしてという時期。私はラッキーなことにあまり大きな怪我がなかったので、ずっと試合や練習に参加することができたんです。オリンピックに辿り着けたのは、そういう運もあったと思います。
「心技体」のどれが欠けてもいけない
――サクラセブンズ(7人制ラグビー女子日本代表)の戦績として、リオオリンピックでは10位、今夏のワールドカップでは10位でした。現在地についてどう見ているんでしょう。
勝負の世界は結果がすべて。いまのサクラセブンズはアジアで優勝できても、世界では運がよくて8位だと思います。決勝トーナメントには行けるけど、そこからさらにまたひとつ上がるには、もう少しなにかが必要です。ミスが多い試合は負けるし、ひとつひとつの丁寧さや泥臭さ含め、もっと日本人らしくプレーできるんじゃないかなと思います。
――2020年に控える東京オリンピックに向けて、個人で心がけていることはありますか?
「心技体」という言葉がありますけど、本当にどこも欠けてはいけないんだなっていうのは常々感じられるようになりました。前回のリオまでは若い勢いで行けたというか、そういうことをあまり気にしなかったんです。意識しなくてもいいパフォーマンスができていた。でもいまは、なにか変えないと自分自身も変わらないと思っていて。具体的には食事制限ですね。揚げ物や甘いものが大好きなんですが、いまは一切食べてないです。あと寝る前になるべく携帯を触らないようにするとか。
――チームとしてはどういったところを強化していくべきだと思いますか?
個々人が自分のパフォーマンスを上げてもっと強くなることはもちろん、チームとしてひとつになることが大切だと思います。アジアでは勝てるけど世界ではなぜ勝てないんだろうというところで、アタック(ボールを持つ時間)をもっと長くしないといけない。相手にボールを持たれる時間が長ければ長いほど失点しやすくなるので、アタックを長くするために、体力勝負になってくる後半まで走り続ける力であったり、走れるなかでのコミュニケーションだったりが重要になってきます。凄くきつくなったときに声を出せるかどうか。そういったところを強くしていかないと、東京オリンピックではリオを繰り返してしまうかなと思います。
――仲間とのコミュニケーションの際に、ご自身のポリシーはありますか?
いまはとくに若手が増えてきたので、なにを考えているかっていうのは話さないとわからないんですよ。なにがはやっているのか、誰がいま旬の俳優さんなのか、好きな歌もまったく違いますし。ピリピリした環境のなかにずっといるので、オフの日にどこかに連れて行って、リフレッシュしながら話すこともあります。より密にコミュニケーションを取ることを上の年齢はとくに考えないと、下の子たちが多い分、まとめるのも大変だと感じます。
新しい年号になってもラグビーに恩返しがしたい
――2019年にはラグビーワールドカップが日本で開催されます。ラグビーに興味を持ち始める方も多くなると思いますが、改めて7人制ラグビーのよさを伝えるなら?
セブンズはコートに7人ずつしかいないので、お目当ての選手を見つけやすいと思います(笑)。スピードも売りで、トライを取られてもすぐトライを取り返すなど展開が早いです。それから試合時間も前半7分、後半7分と短いので、いろんな国の選手のプレーが一日で何試合も観られるのもいいところ。観客が仮装してくることもあって、それを観るのも楽しいですよ。
――ラグビー全体を盛り上げていくために、桑井さんができることはなんだと思いますか。
一番は強くなること。もっともっとたくさんの人たちに、サクラセブンズというものを知ってもらいたい。今日(取材当日は「ジャパンウォーク in YOKOHAMA 2018秋」にゲストアスリートとして参加)も会場を歩いていて、「ラグビーってオリンピック競技なの?」と言われることがあったので。いろんな方々といろんな視点で関わることでラグビーを知ってもらって、そして応援してもらえることが私たちの力にもなるので、こうしたイベントには今後も出ていきたいです。
――現在は八木橋百貨店でお仕事されながら、ARUKAS QUEEN KUMAGAYAでラグビーをされいます。仕事と練習とオフのバランスはどうやって取っていますか。
ある意味、会社がオフだと思ってるんです(笑)。というのも地元が北海道なので、帰省しない限りはなかなか「お帰り」って言ってもらえない。でも遠征や合宿から帰って会社に行くと、みんなに「お帰り」って言われる。「お帰り」って言ってくれる場所があるだけで、すごいリラックスできるんですよね。だから会社にはリラックスするために行っている感じで、ストレスが全然ないんです。
ご飯屋さんに行っても、私仕様の特別なご飯を出してくれたり。さっきも話したようにいまは揚げ物を一切食べてないんですけど、「いつものお願いします」って言ったら、温野菜や肉や魚といったたんぱく質を中心に、栄養を考えたフルコースで出してくれるんですよ。そうやっていろんな人たちに応援してもらってる分、結果として恩返しがしたいとずっと思いながらやっていますね。
――桑井さんは平成元年生まれですが、もうすぐ激動の30年が終わりますね。平成を振り返って、そして新しい年号ではどんなスポーツ人生を送りたいですか?
本当に終わるんですよねえ(笑)。平成は、自分にとっていいこともあれば悪いこともありました。でも年を取れば取るほど、自分の好きなことはもちろんいろんな経験をさせてもらって、大人って楽しいなと思えるようないい年の取り方ができています。なので次の年号になってもいい年の取り方を続けて、どんな形でもラグビーに恩返しができたらなと思っています。