大澤真幸が読む
文学史上最も偉大な小説家の一人ドストエフスキー。彼の詩学(芸術理念)の特徴は、ポリフォニー(多声音楽)に喩(たと)えられる創作手法にある。ロシアの文芸学者バフチンはそう論じた。
ここで「ポリフォニー」は、小説の中に含まれるあまたの意識や声がひとつに溶け合うことなく、それぞれれっきとした価値をもち、各自の独自性を保っている状態である。普通の小説では、複数の個性や運命が単一の作者の意識の中に組み込まれ、その中で展開する。しかしドストエフスキーの小説には、すべての意識をまとめる作者の観点がない。作者の声を託された登場人物も、他の人物に対して優越しているわけでも、特権的な立場にあるわけでもない。
ポリフォニー性がはっきりと現れるのは、もちろん、論争のときである。だが逆の同意の場面にさえも、ポリフォニーはある。自分が心の底で思っていたことを他人がはっきりと口にすると、私たちは驚いたり、反発を感じたりする。これが同意の中に潜むポリフォニーである。
たとえば『カラマーゾフの兄弟』で、イワンとアリョーシャが、誰が父を殺したのかを話し合うシーン。アリョーシャが突然兄に「殺したのは、あなたじゃない」と言う。するとイワンはものすごく動揺する。イワンは自分が直接殺害してはいないことを知っているので、アリョーシャから反対意見を聞かされたわけではない。それなのにイワンは衝撃を受け、逆に、父の死を密(ひそ)かに欲していた自分こそが真の殺害者ではないか、という思いから離れられなくなる。
自分が知っていることが、他者の口を介して言われた。それがなければイワンの心が揺さぶられなかっただろう。他者が存在し、声が複数であることのこうした意味を探究したのが、ポリフォニー小説である。
ポリフォニーの世界をイメージしにくければこう考えるとよい。それは日本人の得意技「空気」の全き反対物だ、と。空気は一枚岩で、常にその度に一つの声しかもたない。(社会学者)=朝日新聞2018年12月8日掲載