青春小説に潜む元兵士の叫び サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」

「ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ」
一九五一年、第二次世界大戦を経て、高度経済成長の只中(ただなか)にあるアメリカで、本書は刊行された。“モラトリアムな若者の永遠のバイブル”として、いまなお読み継がれる珠玉の一冊だ。
主人公ホールデンが、学校を退学になり、恩師や妹に会ったりと、あてどなく街をさまよう二日間の物語。彼は、一つのことに集中して努力したり、その結果をじっと待ったりができない性分だ。会話も、行動も、常に、動く、逃げる、嫌がる、の繰り返し。そんなホールデンのことを誰も理解できなくて、いったいどうしたいのかと聞く。すると彼はこう答える。ライ麦畑に何千人も子供がいて、ときどき崖から落ちそうになってる。僕はその子供をキャッチする人になりたいだけだ、と。
ホールデンは、自分を追って家出してきた妹と動物園に行き、回転木馬に乗せてやる。ぐるぐる回るのにどこにもつかない回転木馬は、彼の陥った現実そのもののようだ……。
著者は一九一九年、マンハッタン生まれ。父は裕福なユダヤ人だった。一九四二年、第二次世界大戦に従軍し、ノルマンディー上陸作戦などを経験。捕虜になったゲシュタポの尋問を請け負うなど、ホロコーストを目の当たりにする。ドイツ降伏後、PTSDの治療を受けた。
主人公ホールデンが、心ここにあらずの饒舌(じょうぜつ)さで語り続けるのは、「危険だからここにはいられない」という、著者が戦場で被ったトラウマと、「死んでいった人を助けたい」という、胸が張り裂けるような思いだ。
ライ麦畑とは、戦場、子供とは、兵士のことだったのだ。
わたしはそのことを知ってから、久しぶりに再読した。すると、最後のセンテンスの意味がまったくちがって感じられ、膝(ひざ)から崩れ落ちる思いだった。
本書は、本来語り得ぬはずの戦争体験を、青春小説に擬態して語った、一人の元兵士の渾身(こんしん)の咆哮(ほうこう)なのだ。(小説家)=朝日新聞2018年12月15日掲載