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バルセロナのサッカー場の警備員にミュージシャンが感じたシンパシーとは?

文・写真:藤巻亮太

 巨大な旗が宙を舞っている姿がとても美しく、その刹那、僕は夢中でシャッターを切った。

 そして僕はますますスペインが好きになった。2年前、サッカーの伝統の一戦と呼ばれるものをマドリードに見に行った。僕はメッシが大好きで、バルセロナを応援していた。シーソーゲームの末、バルセロナが劇的な勝利を収め、その時はとても興奮したことを今でも覚えている。

 数日後、今度はバルセロナで試合を観戦した時のことだ。試合前にメッシの500ゴールを祝うセレモニーが開催され、空を見上げると巨大な旗が観客の上を覆いかぶさるかのようにはためいていた。そういう一瞬に出会えた時は、アドレナリンが全開になって写真を撮るのがとても楽しい。

 そして、もう一枚は小雨がパラつく会場で、派手な蛍光色のカッパを着た警備員の写真だ。先ほどまで興奮して旗を撮っていたので、この一枚はそれほどの思い入れで撮った訳ではなかったのだが、帰国して写真を整理している中で、ある種のシンパシーを持って僕の心を強く捉えた。

 それは「待つ」という事だ。

 熱狂の試合に背を向けて、終わるのをじっと待つ。彼の心は警備の使命に燃えていたのだろうか……。いやいやそんな事はなくて、寒いし早く終わらないかな、とか腹減ったな、とか、そんな事を考えていたのかも知れない。

 ともすれば、ミュージシャンと「待つ」はあまり繫がらない印象かもしれない。好きな世界観を追求して、新しいアイデアを自分の意思で探しにいく、むしろ能動的な姿勢のイメージをもたてるのではないだろうか。

 しかしこれは僕の感覚だが、曲をつくればつくるほど、人間の意識が探しに行って成せる仕事というのは、過去のデータを引っ張り出して照合し、その組み合わせを考えること、つまりパターンの練り直しがメインではないかと思うようになった。

 だから大袈裟に言ってしまえば「探す」うちは、実は本当に新しいものは見つかっていないのだ。

 「探す」という能動的な行為で見つからない何かと、どのように出会えば良いのか。そこに「待つ」が登場するのだ。

 待つというのはとても消極的で受動的なイメージがある。しかし探すという自分の手垢にまみれた意識のベクトルでは届かない場所にふれるには、根気よく待つしかないようにも思う。いわゆる閃きを。

 しかし待つのは大変だ。なにせ、いつ何が思い浮かぶか分からない。だからついつい探しにいきたくなるのが人間の性だ。しかし探しにいくと例えそれが自分の外側にあるものでさえ、探せば探すほど自分の自我の中に迷い込んでしまう危険があるのだ。僕自身、曲ができない不安から何度も探しに行き、行けば行くほど、自分の殻から出られないという経験をした。

 そういう意味では「探す」とは、自分の不安や欲の感情に駆り立てられてとる行動であるとも言える。つまりそれは感情に対して受動的な行為なのだ。

 だから待つのには勇気が必要だ。信じる力が必要なのだ。何かを信じている時、人は自分の感情や欲の奴隷にはなっていない。そういう意味では、しっかりと待てている時、人は本来、能動的に生きていると言えるかもしれない。

 閃きとは、人の無意識の領域から湧きだすのか、はたまた天からの授かりものなのか、本当の意味で新しくクリエイティブなものは「待つ」中で生まれるのではないだろうか。最近、そんなことを考えている。