柳美里「町の形見」書評 戯曲の根拠 掘り起こす遁走曲
ISBN: 9784309027593
発売⽇: 2018/11/22
サイズ: 20cm/261p
町の形見 [著]柳美里
帯に「24年ぶりの最新戯曲」とある。思い返せば、柳美里という名を知ったのも、演劇を通じてのことだった。ところが1、2年のつもりで書いた小説で芥川賞を受賞。ようやく昨年、かつて主宰した「青春五月党」を復活。芝居の世界へと戻った。
きっかけは東日本大震災だ。東北の被災地に足繁く通うようになった柳は、その後、福島県南相馬市に移り住んだ。「町の形見」はその最新作。ほかに昨年、創部4年目で第51回東北地区高等学校演劇発表会・最優秀賞を受賞した福島県立ふたば未来学園高校の演劇部出演の「静物画2018」などを収める。この生徒たちとのつながりが、いま一度、演劇の世界へと導いたのだ。
かねてより柳は俳優を重視しなかった。「俳優ではない職業の人の肉体を舞台上で見てみたい」と思ったのだ。その気持ちがほぼ四半世紀を経て、被災地の高校に通う演劇部の生徒たちを通じ、ふたたび前景化した。「町の形見」に登場するのも、南相馬で生まれ育った70代前後の男女らと、東京の小劇場で活動する俳優たち、そして、かれらを演出する作者自身の存在だ。
位相の異なる肉声(現実)と演技(俳優)と演出(創作)が、音楽でいうフーガのように追いかけっこを続ける。フーガは遁走曲とも呼ばれる。長かった舞台からの遁走を経て、もう一度、戯曲でなければならなかったゆえんだろう。
いまひとつ重要なのは、柳がかつて「わたしにとって芝居はお葬式です」と答えていたことだ。芝居が一期一会の体験なら、すべての芝居は埋葬劇でもある。戯曲はどうか。どんな名演を担った肉体もやがて滅ぶ。ところが戯曲には再現性がある。なにが再現されるのか。それは「記憶のお葬式」であり、「死者のための芝居」ではないか。「町の形見」は、戯曲が戯曲であることの根拠=墓性を掘り起こす。
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ゆう・みり 1968年生まれ。作家。『魚の祭』で岸田國士戯曲賞、『家族シネマ』で芥川賞。『フルハウス』など。