- フランチェスコ・コロンナ『ヒュプネロートマキア・ポリフィリ』(大橋喜之訳、八坂書房)
- ウィリアム・ギャディス『JR』(木原善彦訳、国書刊行会)
- 飛浩隆『零號琴』(早川書房)
ひとくちにエンタメといっても楽しみ方は様々である。
『ヒュプネロートマキア・ポリフィリ』の原著刊行は、1499年。澁澤龍彦が「ポリフィルス狂恋夢」の名で紹介したことでも知られる書物の、500年以上を経ての全訳となる。
建前は恋人を追い求める主人公ポリフィロが見た夢の話であるが、ほとんど全てが建築物と登場人物たちの描写に埋め尽くされ、ものづくしよろしくの単語の連打がひたすらに続く。
異世界観光案内と読むもよし、活版印刷黎明(れいめい)期の小説として読むもよし、張り巡らされた寓話(ぐうわ)と象徴の網目を調べながら溺れるもよし。
『JR』の原著刊行は、1975年。全米図書賞受賞。著者2作目の長編にして、1作目の刊行から20年をかけて完成した。
JRという名の少年が金の力を使って大騒動を巻き起こすというのが話の筋の一つである。
本文と会話の区別もほぼないような文章が、章や節を立てることなくどこまでも続いていくため、まずその場面で何が起こっているのかさえもとらえにくい。いっそラジオ番組のように「聴いて」しまう方がよいかもしれない。
とにかく金が全ての資本主義社会を笑いのめしていると読むこともできるが、現代であればネット上での有象無象のやりとりとも近く見えるのではないか。
奇書として眺めるのもよし、誰がどこで何をしているのかを解読していくパズルとして読むもよし。
『零號琴(れいごうきん)』の刊行は2018年。その全体が楽器という街を舞台に、その初「演奏」を描く。娯楽小説の枠組みの強靭(きょうじん)さに挑戦するという娯楽小説でもある。たとえば、オペラの中にアニメや特撮の文法を投入したならどうなるか。古典芸能との融合例としては、スーパー歌舞伎を思い浮かべてもよいかもしれない。
果てしのない元ネタ探しを楽しむもよし、批評性をみいだすもよし、流されるまま本から響く音に耳をすませるもよし。
SFマガジンでの連載終了後、7年をかけて改稿したという本作だが、その改稿前の連載版も、電子書籍として刊行されている。=朝日新聞2019年2月10日掲載