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進路で迷うたびに浮かぶ、お守りのようなセリフ 彩瀬まるさんが中学時代に出会った沢木耕太郎「彼らの流儀」

 中学に上がった頃から、父に本を薦められるようになった。当時からものすごく流行っていた村上春樹や浅田次郎はもちろん、色川武大や開高健、沢木耕太郎も「これ読んでみな、面白いから」と手渡された。

 読書の端緒を開いてくれたのは、母だった。誕生日に贈ってくれた灰谷健次郎の『太陽の子』やミヒャエル・エンデの『はてしない物語』が印象深い。しかし母が選ぶ、どこかしら子供が入りやすいとっかかりのある本に比べ、父が無作為に薦める本は難しかった。文字が小さくてみっちりしてるし、なによりしゃべってるのみんなおじさんじゃん!

 『ロードス島戦記』や『十二国記』にドハマりしていたファンタジー好きの女子中学生は、おじさんワールドにこれっぽっちも興味がなかった。『麻雀放浪記』も『深夜特急』も、まともに読んだのは渡されて十年ぐらい経ってからだと思う。『深夜特急』は確か一度、あまりに読め読め言われて面倒くさくなり、偶然を装って古書店に売った。(のちに、バレたらやばい! と我に返って買い直した)

 なので、テレビの巨人阪神戦を観ながら長嶋監督の話になり、父が「そういえばこの本に、長嶋監督の息子の話がのってるぞ。短いし、面白いから読んでみろよ」と薦められた時も、背表紙の「沢木耕太郎」という著者名を見て、うわあまだ一ページも読めてない『深夜特急』の人だあ、と渋った記憶がある。今は読む本があるとか、あれこれ言い訳を口にしたものの「五分もかからないで読めるから」と説得され、ふて腐れながら渡された本を開いた。タイトルは『彼らの流儀』。デッキチェアに座る海パン姿の老人が、鈍い色をした海を眺めている。うーん、やっぱりおじさんワールド。

 『彼らの流儀』は、ノンフィクション調のコラムと言ったらいいのだろうか。著者の沢木耕太郎が出会った印象深い人々に関する短文が、三十三編収録されている。書かれる対象は、高名な人もいれば無名な人もいる。なかには「買ったばかりの大根の半分を持てあまし、バスで隣り合った乗客に譲りたがっている老女」なんて行きずりの人物にも焦点が当てられている。

 長嶋親子に関する文章は、その本の冒頭に収録されていた。たしかに五分くらいで読めた。偉大な父を持つ息子が、父と同じ職業を選択するにあたり、心配する母に自分の心境を反映したある映画を見せるという筋だった。今読むと結構面白いのだけど、当時の私にはまったくピンとこなかった。野球も、父と息子の関係性も、偉大な親を持つ子の葛藤も、興味関心の枠外にあった。

 やっぱりお父さんの本はよく分かんないんだよなー、と内心で文句を言いつつ、そこで読むのを止めなかったのは、二編目のタイトルがずいぶんコミカルだったからだ。

 「あめ、あめ、ふれ、ふれ」。傘屋の話だった。雨が降ったら傘屋は儲かるのか、という問いに、彼は「商品を作るのには二ヶ月くらいはかかるんで、いくら降っても間に合わない」と答える。でも儲け話とは別に、降ってほしいらしい。「人が傘を差しているのを見るのが好き」だから。

 彼は別に始めから傘屋になると決めていたわけではなく、たまたま人の紹介で商社に入社し、アメリカ向けの傘の輸出業務に携わった。のちに転職し、別の会社に入ったところ、そこでも傘を取り扱った。傘との出会いや縁が続いたことは偶然だったが、ある時、企画した傘が店でいいものだと認められ、人が喜んで差してくれている姿を見ると深い満足感を得る自分に気づく。彼は個人で傘のブランドを作り、一年で銀座のデパートで陳列棚丸ごと一ケースを有する押しも押されもせぬブランドに成長させた。

 筋だけを書くとよくある成功者の伝記みたいだ。しかしこの彼の、最後の台詞に中学生の私は衝撃を受けた。

 「僕は傘屋で幸せです。雨が降れば嬉しいし、晴れ上がれば気持がいいし、どんな天気でも楽しく過ごせますから」

 働くことに対して、労苦ならともかく、幸せというイメージが当時の私にはまるでなかったのだ。そんな気持で働いて、いいんだ! というか私も、どんな時でも楽しく過ごせる仕事を見つけたい。そういう風に人生を生きたい。心底びっくりしながら、父に「これ、すごく好き!」と興奮気味に訴えた。

 すると父は目を見開き、心底意外といった様子で「へえー!」と言った。

 その反応だけで、この一編がまるで父の琴線に触れていなかったことが分かり、私は再びびっくりした。父の印象に残っていたのは、あくまで始めの長嶋親子の話だけだったのだ。

 そして私は、同じ文章を読んでいても、父と私ではまったく見ている景色が違うのだとおぼろげながら理解し始めた。意識の中で父が少し遠くなり、だけどそれは、正しい距離のような気がした。

 「あめ、あめ、ふれ、ふれ」はそれから、進路で迷うたびにセリフが浮かぶ、私にとってお守りのような一編になった。沢木耕太郎は「父がいいと言っている作家」ではなく、「私の好きな作家」になった。『深夜特急』も、今はちゃんと本棚の手に取りやすい位置に並んでいる。

 父が薦めてくれた本は、大人になって読めばどれも面白かった。でも薦めてもらったどの本よりも、私にとってお守りになるほど素晴らしいものが、父にとってぜんぜん素晴らしくない、という衝撃が、ほろ苦い切なさやおかしみと共に記憶に色濃く残っている。