池上さんは、図書委員の面々を前にこう呼びかけた。
「今日は、この物語についてじっくり語り合おう!」
『君たちはどう生きるか』は、東京大で哲学を修めた編集者の吉野源三郎によって、第2次世界大戦に突入する直前の1937(昭和12)年に書かれた小説だ。15歳のコペル君こと本田潤一がさまざまな経験を通じて感じる疑問に対し、近所に住む叔父さんが、科学や経済学、歴史などの話題を用いながら、ものの見方や考え方、そして、生きるためのヒントを伝えていく。いじめや友情という、今を生きる若者たちにもひとごとではないテーマが描かれたこともあり、戦後も長く愛読されてきた。2017年に漫画版と小説の新装版が発売されると、80年のときを超え、大ベストセラーに。
「小説と漫画、両方読んだ人はいる?」。池上さんの呼びかけに何人かの手が挙がる。「違うと思ったこと、疑問に感じたことは?」と問うと、一人の女子生徒がこう答えた。
「北見君が上級生に殴られた後、水谷君、浦川君と支え合って校舎に戻ろうとしたとき、小説では『コペル君と目が合うと、浦川君は気の毒そうな顔をして』と書かれていました。でも、漫画では気の毒そうな感じがわからなかった」
北見君、水谷君、浦川君はコペル君の友人たち。上級生から目をつけられていた北見君にもしものことがあったら、共に立ち向かおうと仲間で約束をしていた。が、いざというときにコペル君だけが勇気を出せず友を裏切った。そのシーンの心理描写に違いを感じた、という。池上さんはこう問いかけた。
「浦川君は、なぜ気の毒そうな顔をしたんだろう?」
考え込む生徒たち。しかし、なかなか声が上がらない。すると池上さんは4人の生徒に声をかけ、前に出るよう促す。「君たちは北見君、水谷君、浦川君。そして、君がコペル君だ。このシーンを再現するぞ。よーいスタート!」
3人に声をかけられないコペル君、振り返る浦川君……。なかなかの名演技に、生徒たちからは「お~」と声が上がる。浦川君を演じた生徒に池上さんが「どう感じた?」と聞くと、「声をかけたい気持ちはあるけど、そうすると他の二人にコペル君が裏切ったことがバレるかもしれないな、って」。対してコペル君役の生徒は、バツが悪そうに「なんか……いたたまれなかった」。
双方の意見を聞き、「なるほど!」と池上さん。「浦川君はコペル君を気の毒に思い、さらに、ほかの友達に気づかれないようにあえて声をかけなかった。それは浦川君の優しさだ。ところが、同情されたコペル君はますますやりきれなくなってしまった。人間の心理って不思議だよね。優しさがかえって相手を傷つけることもある」
十代の生徒たちには、そうした微妙な心理や感情を経験したことがない人もいるかもしれない。だが、本の世界では、物語を読むことを通じて追体験することができる。池上さんはこう語る。
「優しさが人を傷つけることがあると知っていれば、人への対し方が変わってくる。小説を読むことは、人間として成長する上でとても大切なことなのです」
友達を裏切ったことに苦悩するコペル君の姿に、自らを重ねる生徒は多い。
「いじめを目撃しても見て見ぬふりをしてしまうかも……」
「仲間や友達との約束を守れなくて、自分が嫌になったことがある」
風邪をこじらせ高熱を出したコペル君は「病気なんて、もっと、もっと、悪くなれ!」「僕なんか、死んでしまったほうがいいんだ」と思いつめる。ある女子生徒は「共感できる」。行きたかった学校の受験に失敗し、親の期待を裏切ってしまったことに苦しみ、「死んでしまいたいと思った」という。その告白に、池上さんは自らの青春時代を振り返り、語り出した。
「大学生のころ学生運動が激しく、友達が自ら命を絶った。ショックで、僕自身も真剣に自殺を考えたことがある」
思いがけない話に息をのむ生徒たちに、池上さんは続ける。
「長い人生の中で、多くの人は一度は死にたいと考えたことがある。でも、死んだらそれっきりなんだ。君たちもこの先、死んでしまいたいとまで悩む出来事が起こるかもしれない。そのとき、死にたいほどの苦しみを乗り越え、自分で考え、決断することの大切さを知ったコペル君のこと、この小説のことを思い出してほしい」
しかし、この本に「答え」は書かれていない。
「ただ本を読むだけではダメ。作者がどんな思いや考えでこの本を書いたのか。本につづられていることを、自分ならばどう考えるか――。そんな風にたくさんの本と向き合って色々なことを学び、『自分はどう生きるか』の答えを探していってください」
オーサー・ビジットは朝日新聞社が主催し、出版文化産業振興財団が協力している読書推進事業。(ライター・中津海麻子、写真家・首藤幹夫)