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坂本美雨さんと巡るヒグチユウコ展「CIRCUS」 指先から広がる「普通じゃないもの」を堪能したい

文:古谷ゆう子、写真:岡田晃奈

 2月のある日。坂本さんは最寄り駅から独り歩いて、待ち合わせの世田谷文学館へやって来た。ガラス張りのエントランスを飾るのは、ヒグチさんが描くシュールなのにどこか愛嬌のある「セバスチャン」。早くもヒグチワールド全開だ。30、40代の女性を中心に、みな吸い込まれるように扉を抜ける。「平日とは思えないお客さんの入りですね」と坂本さんに声を掛けると、「本当に……」と驚きを隠せずにいた。

 展示室へと続く階段を上り、サーカス小屋を思わせる赤いカーテンの下を進むと、人気キャラクターの一つ「ギュスターヴくん」のイラストが迎え入れてくれた。ギュスターヴは、ヒグチさんが生み出したキャラクターであり、2016年には同名の絵本も出版している。顔は猫なのに、足はタコで腕はヘビ。最初は「可愛い!」と吸い寄せられるものの、次第にその表現が適切なのか、考えを巡らせずにはいられない不思議なキャラクターだ。

《ギュスターヴ若冲雄鶏図》2016年 ©Yuko Higuchi
《ギュスターヴ若冲雄鶏図》2016年 ©Yuko Higuchi

 壁一面には、これまでヒグチさんが手掛けてきたキャラクターや絵本の原画が所狭しと飾られている。双子の少女に、ワニ、キノコ、そして名もなき生き物たち……。なかには両手サイズほどの小さな絵もあり、坂本さんは細かなところまで真剣な眼差しで見つめていた。歩を進めると、ぬいぐるみ作家である今井昌代さんによる立体造形も目に飛び込んでくる。少しずつ、ヒグチさんの好きなもの、彼女の心の奥底にあるものが何となく分かるような気がしてくる。

 突き当たりには、これまで手掛けてきた絵本やヒグチさんを特集した雑誌、そして装画を手掛けた書籍が並ぶ。たとえば、辻村深月さんの「盲目的な恋と友情」(新潮社刊)、麻耶雄嵩さんの「神様ゲーム」(文庫版、講談社文庫)の装画も、ヒグチさんが手掛けたものだ。なかには、他言語に翻訳された絵本も。「こんなに翻訳されているんですか」と坂本さん。

 ヒグチさんが学生時代に描いたという貴重な絵も展示されている。「こんなに色を使っていらっしゃったとは」と坂本さんが言う通り、モノクロ表現の多い現在の作風とは大きく異なる。

 会場の中央にはサーカス小屋を模したテントが張られ、壁にはキャラクターたちの映像が流れる「覗き穴」も。列をなす人々を少し待って、坂本さんもゆっくりと覗きこんだ。壁の至るところにヒグチさん直筆のイラストとメッセージがあり、それを見つけ出すのも楽しい。

 このとき展示室内で流れていたのは、ヒグチさんが好きだというフェデリコ・フェリーニの映画「道」のテーマ曲。美しくて楽しいけれど、どこか哀しい。そんな世界観が拡張していく。

 多くの人々が足を止めていたのは、展示のメインビジュアルである作品「CIRCUS」をヒグチさんが実際に描く過程を収めた動画だ。想像力とオリジナリティの塊としか言いようのない、斬新かつ緻密なデザイン。熟考を重ねて描いているのかと思いきや、右側からさらさらと描いていることに驚く。「ヒグチさん、描くのがとても早いんですよね」と坂本さんも言う。

《Circus》2018年 ©Yuko Higuchi
《Circus》2018年 ©Yuko Higuchi

 中央の“サーカス小屋”から出ると、現在日本でも公開中のリメイク版「サスペリア」(ルカ・グァダニーノ監督)のポスターや、マーティン・スコセッシやデヴィッド・フィンチャー、黒沢清らがヒッチコックについて語るドキュメンタリー映画「ヒッチコック/トリュフォー」のポスターが展示されている。坂本さんも一言、「こんなに沢山手掛けていらっしゃったんですね」。近年、“本当に怖いホラー映画”として話題を集めた「it/イット」や「ヘレディタリー/継承」といった作品のイラストも展示されていることから、ホラー映画に造詣が深く、だからこそ生み出される世界観なのではないか、と改めて思う。

 その一方で、ミュージアムショップではポストカードやマスキングテープ、ピアスや鞄といったものが飛ぶように売れていく。どこまでも深く、さまざまな側面を見せるヒグチユウコ展。ヒグチさんの作品の魅力について、展示を観終わったばかりの坂本さんに聞いた。

――坂本さんは5年ほど前にヒグチさんの作品と出会い、その後、プライベートでもお会いしたことがあるそうですね。ヒグチさんの作品の魅力はどこにあると思いますか。

 うーん(しばらく考え込む)。

 「狂気」でしょうか。画風もですが、彼女自身から出て来るものに、狂気のようなものを感じています。頻繁にお会いしているわけではないのですが、一度、(イラストレーター・絵本作家である)石黒亜矢子さんとヒグチさんと私で食事に行ったことがあるんです。トークショーなどイベントの後だったと思いますが、三人で中華料理店に入って。席に着いても、ヒグチさんはメニューを見ずに、「ちょっとでも時間があったら、描きたい」という感じでした。私が注文をしている間も、原画を入れたクリアファイルをさっと取り出しては、気づくともう絵を描いている。

 会話を交わす間もずっと手は動いていました。仕事量が爆発的に増えていた頃だったということもありますが、それはいまもずっと続いていると思います。ツイッターを拝見しても、いつ寝ているのかも分からないくらいですから。

――「CIRCUS」展では、ヒグチさんがデッサンをしている様子を映した動画も公開されています。どこまでも緻密なのに、迷いなく、流れるように描いているのが印象的でした。

 私は食事をご一緒したときに初めて目の前でヒグチさんが描いているところを見て、その小ささと緻密さに驚きました。とても細かいので、もっと大きなものに描いて縮小しているのかと思っていたのですが、小さなサイズのまま描いていらっしゃるんですね。

 下絵もほとんどなく、淀みなく描かれる。それが本当に魔法のようで。指先からどんどん世界が広がっていく。「まるでマジシャンだな」と、思いました。

 彼女は想像のなかの世界と、常に繋がっているのかもしれません。絵を描く時にスイッチを入れて「さて、どう描こうか」と想像し始めるというよりは、ずっと繋がっている感じなのではないでしょうか。

 真のアーティストだな、と思います。猫の絵など、キャッチーで可愛いものも人気ですが、自分の世界をどこまでも追求する真の芸術家だなと思います。きっと、描かないと生きていけない方なのだと思いますし、切実さを感じます。

《ねこのピエロ》2018年 ©Yuko Higuchi
《ねこのピエロ》2018年 ©Yuko Higuchi

――坂本さんは愛猫家としても知られています。坂本さんからご覧になって、ヒグチさんが描かれる猫はほかの方が描かれるものとどう違いますか。

 まず、表情が全然違いますよね。いわゆる可愛い顔じゃない表情も豊かに描かれている。擬人化のバランスがすごく上手な気がします。ちょっとした口の角度や瞳の大きさで、描かれている以上のその子の性格を想像させる。私の飼っている猫“サバ美”や友人の猫たちを描いてくださっていますが、もともとの猫が持っている特性を捉え、そこに飼い主である私たちによって引き出されるキャラクターが肉付けされています。絵本のキャラクターとして描いて下さったときは、ちょうど私が出産するときで、「(飼い猫である)サバ美の母性を引き出して描いた」とおっしゃって下さって、それはとても嬉しかったです。

 ヒグチさんの描く動物の横顔も好きですね。何かを見つめている横顔と言いますか、そこに対象物があるのが感じ取れる。意志を持って見つめている感じがします。それがすごく愛おしい。正面からの表情よりも、もっと愛おしく感じます。

《せかいいちのねこ》2015年 ©Yuko Higuchi
《せかいいちのねこ》2015年 ©Yuko Higuchi

――ヒグチさんの絵には、ホラーの要素も多いですよね。その一方で、本の装画を手掛けたり、ブランドとコラボレーションしたりもされています。独特の世界観を持ちながらも、他者の世界にも寄り添うことができる。それが不思議でなりません。

 それこそ「サーカス」なんじゃないでしょうか。狂気と表裏一体と言うか、そういうものに人は惹かれてしまう。「普通じゃないもの」を人は見たいと思う。そしてサーカスをやる側のそうしなければ生きていけない切実さというのもあると思いますが、それはヒグチさん自身が描く姿勢とも通じるものがあります。

 ただ、同時に“ポップさ”というものも凄くよくわかっていらっしゃると思います。キャッチ-さや、エンターテインメントというものも肌でわかっていらっしゃる。そういう才能にも特化されていると思います。私は、「人に伝える」という意味ではそこまで器用ではなく、自分の好きなものと、伝わりやすいもののバランスを取ることが得意ではないのですが、ヒグチさんのバランスは見事ですよね。ここまでダークな世界観すらも、町で女の子がトートバッグとして持ち歩きたいと思う。それは、本当に凄いことだと思うんです。

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