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♯07 新しい1日に出会った西洋卵焼き いぬじゅんさん「奈良まちはじまり朝ごはん」

箸で黄色い卵に切れ目を入れると、ほわっと深い白色の湯気が立ちのぼった。半熟かと思ったけれど、中までしっかりと火が通っているよう。お母さんの作るオムレツもこんな感じだったな、と思い出し口元が緩んでしまう。ひと口大に切って口元に運ぶと、なにかが卵の中から伸びているのに気づく。チーズかも、という予感は、口に入れて間違いだったと気づく。「あ、お餅?」(『奈良まちはじまり朝ごはん』より)

 みなさん、毎日朝ごはん食べていますか? 私は三食の中で朝ごはんが一番好きです。特に旅先で食べる朝ごはんは、その土地ならではの食材や食文化と出会えて、一段と美味しく感じますよね。今回は、奈良市の旧市街地「ならまち」のはずれにある朝ごはん専門店を舞台にした作品をご紹介します。

 出社初日に会社が倒産し、「ならまち」をさまよっていた詩織は、温かい朝ごはん一品のみを提供する「和温(わおん)食堂」の店主、雄也と出会います。作中では、奈良県内で古くから栽培されてきた「大和野菜」や郷土料理をアレンジしたメニューなど、未体験の食べ物がたくさん出てきて、思わず奈良へ確認しに行きたくなった私です。作者のいぬじゅんさんに、奈良の美味しい食べ物のお話を伺ってきました。

昔から奈良で食べられてきた料理を知ってほしい

――奈良県ご出身とのことですが、「ならまち」を作品の舞台に選んだ理由を教えてください。

 子供の頃は「ならまち」ってお寺や猿沢池の端にあるという位のイメージで、あの良さが分からなかったんです。でも大人になってから、たまに実家に帰ったり友達を案内したりすると、町家がずらっと並んでいる所にオシャレなカフェやお砂糖専門店が出来ていて、当時とは印象が変わっていました。新旧融合している町並みに感銘を受け「ならまちを舞台にすれば面白い」と、小説家になるとは思っていない頃から漠然と考えていましたね。

——“一日の始めには温かい食べ物を”というのが「和温食堂」を営む雄也のポリシーですが、なぜそのようなお店を作品の舞台にしたのでしょうか。

 昔、一緒に住んでいた祖母がよく言っていたことなんです。夏は冷えた麦茶が飲みたくても「そんなの飲んじゃあかん!」って言うくらい冷たいものを嫌う人でした。当時私は反抗期真っ盛りで「うるさい人だな~」と思っていたんですが、年齢を重ね、胃腸も気になる年になった今はお腹に入る食べ物の温度って大事だと痛感しますし「あったかいものを食べたら1日元気でいられるから、朝は温かいものだけ食べなさい」という祖母の言葉は間違いじゃなかったんだと思えますね。

——「片平あかね」や「大和まな」など、おもしろい名前の大和野菜も出てきますよね。奈良に住んでいたころから大和野菜はご存じだったのですか?

 当時は知らなかったですね。この作品を書くにあたり「ならまち」で大和野菜を売っているスーパーの店員さんに農家の方を紹介してもらって色々教えてもらいました。大和野菜って奈良県の農林部が認めたメジャーなものとマイナーなものがあるんです。見た目は鮮やかではないけど色がはっきりしていて、味も生命力あふれるような力強さを持っている野菜が多いんですよ。

——詩織が初めて「ならまち」に来た日に和温食堂で食べた西洋卵焼きは、一見オムレツに見えますが味は和風で、中からは何とお餅が! 各章の最後に毎回レシピも載っているので、これはぜひ作ってみようと思いました。

 これね、本当に美味しいんですよ。第一話では「和温食堂」の店主・雄也のこだわりを出したかったんです。彼は西洋料理が嫌いとは言いながらもリスペクトはしているので(笑)、奈良特有の料理というよりは、雄也の頑固さや不器用さが出ているメニューがいいなと思い、候補がたくさんある中で最初に思い付いたのが西洋卵焼きでした。ポイントはやはり中に入っているお餅です。お餅の角を少し残さないと歯ごたえがなくなってしまうので、いい具合で火を止めないとドロドロになってしまいますから。この料理が決まってからは、その後のストーリーがするすると頭に浮かんできたので思い出深いですね。

——奈良の郷土料理を取材されて、印象的だったことはありますか?

 知っているつもりでも、知らなかったことはたくさんあります。例えば茶粥は、奈良に住んでいた時に家でよく食べていましたが、先日奈良の旅館に泊まったときに食べた茶粥があまりに美味しくて驚いたんです。「どうやって作られているんですか?」と料理長の方に聞いたら、本来の茶粥は生米からほうじ茶で炊くのだそうです。今はほとんどの方が炊きあがったご飯にお茶を入れて作っていると思うんですけど、こちらはちゃんとお米から炊いているから、うそみたいに中までお茶が染みているんですよ。これこそ奈良本来の茶粥なんだと勉強になりましたね。

——いぬじゅんさんが思い出に残っている奈良のお料理は何ですか?

 お餅にきな粉をつけて食べる白みそ仕立ての「きな粉雑煮」は、子どもの頃よく家族で食べていたので一番思い出が詰まっている料理です。でも今は奈良のほとんどの家庭でこのお雑煮を食べる機会がなくなっているんだそうです。大和野菜もそうなんですが、地元でも知っている人が少ないそうで、読者の人からいただく感想にも「この作品に出てくる料理を食べたことない」という声が多くありました。昔から奈良で食べられてきた料理が廃れてきているのだとしたら、この作品を読んで知ってもらい「作ってみようかな」と思っていただけたら嬉しいです。